入る権利
ジェニーの家は田舎の小さな道沿いにありますが、朝夕は、近くの幹線道路の混雑や信号待ちを避けようとする車がたくさん通ります。数週間前、傷んだ路面を修理するために、作業員たちが大きな柵と「進入禁止」の標識を持って来ました。ジェニーは言いました。「初めは本当に心配でした。工事が終わるまで、自分の車を出せないのかしらと思ったからです。でも、標識をよく見たら、『住民に限って通行許可』とありました。私は住民ですから大丈夫です。好きなときに出入りする権利がありました。何だか、特別になった気分でした。」
神の前に出る
電話やEメールがない時代、電報は最も速い通信手段でした。しかし、それは緊急時だけに使われ、大抵は悪い知らせを届けるものでした。「電報配達人は悪い知らせを持ってくる」と、ことわざができたほどです。
ひとりの時間
コメディアンのフレッド・アレンは、「『セレブ』とは、有名になるために必死で頑張って、そうなれば気付かれないようにサングラスをかける人のこと」と言いました。名を成して注目されると、なかなかひとりにさせてはもらえません。
常に祈り、失望しない
一難去ってまた一難。そういう状況の方はおられませんか。夜、問題の解決を感謝して眠り、朝起きてみたらまた別の問題が起こっていて、苦しい状況は変わらない…。そんなあるとき、私はルカの福音書を読んでいました。そして18章1節、「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された」のみことばに出会って、ハッとしました。しつこいやもめの話は何度も読んでいましたが、なぜイエスがその話をされたのか、よく分かっていませんでした(2-8節)。しかし、ようやくこのみことばと、たとえ話がつながりました。イエスを信じる人たちへの教えは明快でした。「常に祈り、失望してはならない」だったのです。
電話の前に
私は幼い子どもを育てているので、パニックになることがあります。そんな時は、まず母に電話をして、息子のアレルギー症状や娘の急な咳などについて、助けてもらいます。
神さま、聴いている?
アルコール依存症の夫を持つクリスチャンの女性が「神は私の祈りを聴いておられない、と感じるときがあります」と言いました。多くのクリスチャンが彼女に共感します。この女性は18年間、夫が変えられるように祈っていますが、まだ何も起こっていません。神に良いもの、つまり、神の栄光を表すものを再三祈り求めているのに、それが答えられないとき、私たちはどう考えるべきなのでしょう。神は、祈りを聴いておられるのでしょうか。それとも、聞こえていないのでしょうか。
神は返事をなさる
大好きな韓流スターのツイッターを見つけたので、喜んでメッセージを送りました。返信の可能性が低いことは分かっていました。彼女のような有名人は毎日、膨大な量のメールをもらうのですから。でも、やっぱり期待しました。もちろん返事はありません。
無関心にならない
美しいサリーをまとった女性たちは、寄付集めのイベントを主催しました。アメリカ在住の彼女たちは、母国インドにある自閉症の子どもたちが通う学校の窮状を耳にして、心配するだけでなく、自分のこととして受け止め、何とかしようと行動しました。
友をイエスのみもとへ
ポリオは私が子どもの頃、最も恐れられていた病気のひとつで、感染患者の多くが小さな子どもだったために「小児麻痺」とも呼ばれていました。1950年代の中頃に予防ワクチンが開発されるまでは、アメリカ合衆国だけでも毎年、およそ二万人がポリオで身体の自由を奪われ、そのうち千人が死亡しました。