塀の上に天使が
ウォレス・ブラウンと妻のメアリーは、衰退した教会を牧するため、英国バーミンガムの貧困地区にやって来ました。教会と隣接牧師館の敷地は、何とギャングの基地にされていました。彼らは窓に投石され、垣根に放火され、子どもたちを狙うと脅されました。嫌がらせは数カ月続き、警察はなすすべがありませんでした。
聞くのに早く
親しい友人の批判に反論しようとして、鼓動が速くなるのを感じました。私がネットに書いたのは、彼女のことではありません。しかし、反論する前に小さく祈りました。すると心が落ち着いて、彼女の言っていることや、彼女が傷ついた理由が分かってきました。明らかに表面的な問題ではありません。友人は傷ついていました。私は、彼女がその痛みを言葉にできるように助けようと思いました。そう決めると、自分を守る必要は無くなりました。
神に叫び求める
ラッセル・ムーア博士は、養子を迎えるため家族で養護施設を訪ねた時、赤ん坊が保育されている部屋は驚くほど静かだったと記しています。ベビーベッドの赤ちゃんは全く泣きません。それは要求が無いからではなく、泣いてもケアしてくれる人は無いと悟っていたからです。
祈りの呼びかけ
リンカーン大統領は「私は何度となくひざまずき、他にどこに行けるでしょう、と祈らずにはいられなかった」と友人に打ち明けたそうです。彼は、壮絶な南北戦争の最中、自分が真摯(しんし)に祈るだけでなく、それを国民にも求めました。1861年には「へりくだり、祈り、断食する日」を宣言しました。そして、1863年に再度の布告を行い、「神の統べ治める力に頼らざるを得ないと認めることは、国家と国民にとっての義務である。それは己の罪とがをへりくだりと悲しみと共に告白する一方で、純粋な悔い改めは神の慈悲と赦(ゆる)しにつながると確かな希望をも告白することだ」と述べました。
騒ぐ心、誠実な祈り
キング牧師の自宅は、1957年1月、爆破されました。その3日前、彼の一生を変える出来事が起こりました。彼は脅迫電話を受け、公民権運動からの撤退を思い巡らしていました。その時、心の底から祈りが湧き上がってきました。「私は正しいと信じることのために立ち上がりました。しかし今は怖いです。何も残っていません。もう独りでは立ち向かえません」。祈りの後、静かな確信が生まれました。キング牧師は述べています。「ほぼ即座に恐怖が消えていきました。疑念も消え、どんなことにでも立ち向かう準備ができました」
名刺と祈り
最近、事故で夫を失った女性は、生命保険金の申請のために事故に関する資料が必要でした。しかし、協力を約束してくれた警察官の名刺を紛失してしまい不安でした。彼女は神の助けを求めて祈りました。ほどなくして、彼女は教会にいました。窓際を歩いていると、窓台の上にその名刺があったのです。どうやってそこにたどり着いたのでしょう。しかし、なぜかは分かりました。彼女が真剣に祈ったからです。当然です。聖書は、神が私たちの願いに耳を傾けられると述べているのですから。使徒ペテロも「主の目は正しい人たちの上にあり、主の耳は彼らの叫びに傾けられる」(Ⅰペテ3:12)と語ります。
祈りによって愛す
ジョンは厄介な人でした。怒りっぽくて、要求が多く、横柄な態度が目立ちました。教会スタッフの仕事ぶりにケチをつけ、人に奉仕していないと文句ばかり言います。正直、好きになれない人でした。
第一に
一日が走り出しました。ベッドから飛び起き、その日の仕事に取り掛かります。子どもたちを学校に送って職場に行き、すごい勢いでやることリストを作りました。仕事とプライベート両方のすべきことが、雪崩のように襲ってきます。……13.雑誌記事の編集、14.事務所の掃除、15.戦略会議、16.ブログの更新、17.地下室の掃除、18.祈り。ここまで来て、神の助けが必要だと思い出しました。しかし、これほど追い詰められるまで、自分の勢いだけで頑張っているとは気付きませんでした。
本音を語る
教会の友人からこんなメールが届きました。「今月のケアグループは、ヤコブ5章16節を実践するのはどうでしょう。互いに断罪せず秘密も守るという安全な環境を作り、互いを信頼して罪の葛藤を告白し、お互いのために祈るのです」。一瞬、どうしようと思いました。私たちのスモールグループは旧知の間柄でしたが、互いの心の傷や罪の葛藤を率直に分かち合ったことはありません。結局のところ、自分を守っていなければ怖いのです。