レッドテープ
英語に「レッドテープ」という言い回しがあります。「お役所仕事」という意味で、官僚的で、いらいらするほど物事がはかどらない様子を表します。その語源は、かつて役所では公文書を赤いリボンで結んでいたことにあります。1800年代の初期、スコットランド人の歴史家トーマス・カーライルが、行政ののろのろした対応に抗議するエッセイの中でこの言葉を使い、一躍有名になりました。また、アメリカ南北戦争の後、帰還兵がなかなか保障を受けられないという問題が起こり、「レッドテープ」という言葉が再浮上しました。これは、何かをしようとしたとき、厄介な障害が立ちはだかって、焦燥や失望を引き起こすことを意味しています。
レッドテープ(お役所仕事)は世の語り草ですが、この世に一カ所だけ、それがない所があります。それは神の王座です。ローマ人への手紙5章2節で使徒パウロは、「キリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた」と述べています。悲しみに打ちひしがれたり、心が騒いだりして、私たちが神のみもとに駆け寄ろうとするとき、その邪魔をするレッドテープはありません。なぜなら、イエス・キリストが私たちのために道を備えて、天の御座に近づくことができるようにしてくださったからです(ヘブ 4:16)。
忘れないでください。心が傷ついて苦しいとき、神に助けを求めるために数々の障害を乗り越えなければならない、などということはありません。キリストによって、私たちは今すぐ、そして完全に、神にアクセスできるのです。
祈りの力
妹が癌だと聞いたとき、祈って欲しいと友人に頼みました。手術のときは、癌がすべて取り除かれ、化学療法や放射線療法を受けずにすむように、と祈りました。神は、その祈りに「イエス」と答えてくださいました。手術の成功を友人たちに伝えると、ある人は「まあ、うれしい!祈りの力ね」と言ったのですが、私は「神が私たちの祈りに今回は『イエス』と言ってくださって感謝だわ」と答えました。
ヤコブは「義人の祈りは働くと、大きな力があります」と語りました(5:16)。しかし、「働くと、大きな力がある」というのは、熱心に祈れば祈るほど、あるいは祈ってくださいと頼んだ人が多ければ多いほど、その祈りはきかれるということでしょうか。私は今までに、「だめです」とか「しばらく待ちなさい」と神に言われたことが何度もありましたから、この考え方には疑問を感じます。
祈りには力がありますが、その力は不思議な力です。私たちは信じなさい、と教えられました。大胆かつ熱心に、そして辛抱強く祈り、最後には、神のご決断に従いなさいと教えられました。知者である神が答えられたので、それが最善の答えです。「あなたの気持ちを話しなさい」と神が言ってくださること自体が感謝ですし、祈りの答えが何であれ、神が良いお方であることに変わりはありません。
私はオー・ハレスビーの言葉が好きです。「祈りと無力さは切り離すことができません。無力な人だけが本当に祈ることができるのです。…無力さから出る祈りこそが最高の祈りです。」自分が無力であることを認めましょう。
小休止
バルセロナから車で2時間ほど北にあるレストラン「エル・ブリ」は人気店で、6カ月先の予約まで一杯です。ところが、オーナーシェフのフェラン・アドリアは、多数の賞に輝いたこの店を2年間閉めることにしました。スタッフと一緒に将来のことをゆっくりと考え、革新的な計画を立てるためです。アドリアはヘミスフィア・マガジンの取材に答えて「いくつもの賞を取っているのになぜ変革するのか」と質問され、「毎日15時間も働いていたら、創造的なことはほとんどできません」と答えました。この人たちは、成功のただ中にあって最も大切なものを優先し、それに十分な時間を取ろうとしていたのです。
紀元1世紀のアンテオケの教会は、「…大ぜいの人が信じて主に立ち返った」(使11:21)ために、驚異的な発展をとげました。バルナバは新しく信じた人たちを教えるために、サウロ(後のパウロ)をタルソから連れて来ました(25-26節)。彼らは熱心に奉仕しましたが、それと平行して祈りと断食の時間をとって、主のみこころを求めました(13:2-3)。そのような中、神はアジヤに福音を伝える計画を彼らにお示しになりました。
フェラン・アドリアのように、考えたり計画したりするために2年間休業できる人はまれですが、どんな人でも熱心に祈る時間を生活の中に組み入れることはできます。神に向かって心を開いて熱心に祈るなら、神に栄誉をもたらす人生の歩みや奉仕が何であるかを、主は必ず示してくださいます。
具体的に祈る
大きな手術を受ける前日、「すごく怖いの」と友人のアンに打ち明けました。彼女が「何が怖いの?」と尋ねたので、私は「麻酔から目覚めないんじゃないかと思って怖いのよ」と答えました。するとアンは、すぐさま祈ってくれました。「天におられるお父さま、あなたはシンディーが怖がっていることをよくご存知です。どうか彼女の心を静め、神の平安で満たしてください。どうかシンディーが手術の後に目を覚ましますように。」
神には驚かされる
私たちの10年間住んだ家は、借家でしたがとても気に入っていました。ところが突然、家主がその家を売ることになったと知らされました。私は神に「状況を変えてください。妻と私が家庭を築き、子どもの成長を見守ってきたこの場所に留まれるようにしてください」と祈りました。しかし、神の答えは否でした。
あなたの心
◆ エゼキエル書15-18
まだ7歳になったばかりのマルコムが、教会のみんなの前で祈りました。彼は100人の子どもたちの前に立ち、「イエスさま、僕たちがサッカーをして、教会に来れたことを感謝します。車で来る間、守ってくださったこと、僕たちの罪を赦してくれたこと、永遠のいのちをくださったことを感謝します。イエスさま、大好きです。僕たちが、こんなにイエスさまを愛していることを、決して忘れないでください」と祈りました。素晴らしい祈りでした。
彼が自分の気持ちをストレートに神に伝えているのを聞いていると、涙がこぼれました。大人は、神、もしくは周りの人たちを気にして、聞こえの良い祈りをしようと言葉を選びがちです。しかし神は、ご自分の子どものストレートな思いを聞くことを喜ばれるはずです。
ネヘミヤは、郷里エルサレムの状況が心配でたまりませんでした。なぜなら、町の城壁は壊され、人々はひどく困窮していると聞いていたからです(ネヘ1:3)。彼は何かしたいと思って、神にそう語りました。彼は神の品性をほめたたえ(5節)、罪の赦しを請い(6節)、ご自分の民になさった約束を思い出してください、と祈りました(9節)。そして、ペルシヤ王があわれんでくれるように祈りました(11節)。神は、ネヘミヤたちがエルサレムの城壁を再建する間中、彼らを見守ってくださいました。
あなたの心の内には何がありますか。感謝ですか、それとも重荷ですか。どちらであったにせよ、いつくしみ深い神は、あなたの心の思いを聞きたいと思っておられます。
最高の祈りというものは、謙虚な心から生じる。
聴いて応答する
◆ エレミヤ書50-52
自分のことばかり話す人に会ったことがありますか。礼儀で相手のことを訪ねると、その人は自分のことばかり話し、あなたについて尋ねようとはしません。ふたりの会話は、その人のことだけ、あなたの話題は皆無です。
さて、私たちのデボーションはどうでしょう。私たちはまず、神のみことばをいくらか読みますが、祈る段になると、さっさと自分のニーズに焦点を移して、あの問題を解決してください、生活の必要を満たしてください、病気を癒してください、助けてください、と祈ります。しかし、たった今読んだ神のみことばに対する応答はありません。神がたった今、語りかけてくださったことについては、ほとんど無視しているのです。
詩篇119篇の作者の態度は、このようではありません。この人は、「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください」と、神のみことばを理解できるように助けてくださいと祈りました(18節)。彼にとって、神のみことばがどれほど大切であるかを告白し、「私の喜び」(24節)だと、祈りの中で述べています。
祈りの中でみことばに応答する習慣を身につけましょう。そうすれば、私たちのデボーションの質が大きく変わります。聖書を読むことと祈ることは、聴いて応答するというきちんとしたコミュニケーションであるべきです。
神のみことばに耳を傾け、それについて祈ろう。