愛の大使
チャプレンという仕事柄、職場でケアする人以外からも信仰のことを教えて欲しいと言われることがあります。喜んで時間を割きますが、実は教えるより教えられることの方が多いのです。ある時、クリスチャンになりたての真面目な人が、「聖書を読むことは、私のためになりません。神が私に求めておられることを読めば読むほど、私は周囲の人を裁いてしまいます」と、自分の悩みを打ち明けました。
新たな出発
モンゴメリ著の「赤毛のアン」は、私が子どもの頃に愛読した本です。その中に、ケーキ作りをしていたアンが、バニラ・エッセンスと間違えて皮膚に塗る薬を入れてしまう場面があります。しかしアンは、にらみつける親代わりのマリラに向かって明るく言います。「明日という失敗の混じっていない新しい日があるのは、素敵だと思わない?」私はこれを読んで、いつも大笑いしたものです。
水平線の嵐
息子のジョシュは、アラスカ州のコディアックでサーモンをとるプロの漁師です。以前、狭い水路を行く小さな船の写真を撮って送ってくれました。水平線には嵐を呼ぶ不吉な雲が湧いています。しかし虹が、その小さな船を囲むように、水路の端から端に架かっていました。
混乱を乗り越える
旧約聖書のサムエル記第二の主要なテーマは「人生はどろどろしている」ということかもしれません。そこには、人気テレビドラマの要素が満載です。
神の方法
私たちは祈っていました。3か月だけ、ふたりの子どもの里親になって欲しいと頼まれたのです。自分たちの子ども3人に、もうふたり増えるのは大変です。そんなとき、日々のデボーションに使っていた宣教師エミー・カーマイケルの本が、普段はあまり読まない民数記7章を取り上げていました。
美しく描く神
ネサワルコヨトル(1402-1472)は、ヨーロッパ人の到来前、メキシコの一地方を治めていました。彼の名は「飢えたコヨーテ」という意味ですが、これには深い含みがあります。彼が書いた詩に、霊的な飢え渇きが表されているからです。「私が礼拝する神々は石の偶像だ。話しもせず感じもしない…。大きな力を持った知られざる神がおられ、そのお方は宇宙の造り主だ。このお方だけが苦しむ私を慰め、悩む私を助けることができる。このお方に私の助け主、守り主になっていただきたいものだ。」
型破りな戦術
ある女性が1980年のボストン・マラソンの最中に地下鉄に乗りました。彼女はマラソンをしていたはずなのに…。目撃者によると、彼女はゴール直前で再びレースに紛れ込んだそうです。そして良いポジションでゴールしましたが、奇妙なことに息切れもせず、汗もかいていませんでした。
今日という日
バージニア・コナリーは1940年、周囲の批判を振り切って、テキサス州アビリーンで初めての女性の医師になりました。27歳でした。そして、100歳の誕生日を控えた2012年のある日、テキサス州医師会から最高の名誉ある賞を授与されました。この間、コナリーは毎日コツコツと神と人とに仕え、数々の医療伝道旅行に参加し、情熱をもって福音を伝えました。
知恵と恵み
インディアナポリスのアフリカ系アメリカ人たちは1968年4月4日、ロバート・F・ケネディ氏の演説を聞こうと集まっていました。公民権運動の指導者、キング牧師がその日に暗殺されたことを群衆はまだ知りません。ケネディ氏がこの悲報を伝え、兄のケネディ大統領が暗殺された悲しみに通じると語りました。しかし、古代ギリシャの詩人アイスキュロス(BC526-456)の詩を引用して、冷静さを保つようにと訴えました。