単純な話ではない
旧約聖書の律法を見ると、人生は明快です。神に従えば恵まれ、背けば困難に見舞われる。もっともな話かもしれませんが、実際、そんなに単純でしょうか。
神は良いお方か
神は良いお方じゃないと思う、と友人が言いました。何年祈っても解決しない問題があるのです。彼女は、神の沈黙によって神を恨むようになりました。心の底では信じているのでしょうが、辛い状況がつづき、神が少しも気にしておられないように見えるので、疑うようになったのです。悲しむより怒る方が、楽だったのかもしれません。
愛の大使
チャプレンという仕事柄、職場でケアする人以外からも信仰のことを教えて欲しいと言われることがあります。喜んで時間を割きますが、実は教えるより教えられることの方が多いのです。ある時、クリスチャンになりたての真面目な人が、「聖書を読むことは、私のためになりません。神が私に求めておられることを読めば読むほど、私は周囲の人を裁いてしまいます」と、自分の悩みを打ち明けました。
新たな出発
モンゴメリ著の「赤毛のアン」は、私が子どもの頃に愛読した本です。その中に、ケーキ作りをしていたアンが、バニラ・エッセンスと間違えて皮膚に塗る薬を入れてしまう場面があります。しかしアンは、にらみつける親代わりのマリラに向かって明るく言います。「明日という失敗の混じっていない新しい日があるのは、素敵だと思わない?」私はこれを読んで、いつも大笑いしたものです。
水平線の嵐
息子のジョシュは、アラスカ州のコディアックでサーモンをとるプロの漁師です。以前、狭い水路を行く小さな船の写真を撮って送ってくれました。水平線には嵐を呼ぶ不吉な雲が湧いています。しかし虹が、その小さな船を囲むように、水路の端から端に架かっていました。
混乱を乗り越える
旧約聖書のサムエル記第二の主要なテーマは「人生はどろどろしている」ということかもしれません。そこには、人気テレビドラマの要素が満載です。
神の方法
私たちは祈っていました。3か月だけ、ふたりの子どもの里親になって欲しいと頼まれたのです。自分たちの子ども3人に、もうふたり増えるのは大変です。そんなとき、日々のデボーションに使っていた宣教師エミー・カーマイケルの本が、普段はあまり読まない民数記7章を取り上げていました。
美しく描く神
ネサワルコヨトル(1402-1472)は、ヨーロッパ人の到来前、メキシコの一地方を治めていました。彼の名は「飢えたコヨーテ」という意味ですが、これには深い含みがあります。彼が書いた詩に、霊的な飢え渇きが表されているからです。「私が礼拝する神々は石の偶像だ。話しもせず感じもしない…。大きな力を持った知られざる神がおられ、そのお方は宇宙の造り主だ。このお方だけが苦しむ私を慰め、悩む私を助けることができる。このお方に私の助け主、守り主になっていただきたいものだ。」
型破りな戦術
ある女性が1980年のボストン・マラソンの最中に地下鉄に乗りました。彼女はマラソンをしていたはずなのに…。目撃者によると、彼女はゴール直前で再びレースに紛れ込んだそうです。そして良いポジションでゴールしましたが、奇妙なことに息切れもせず、汗もかいていませんでした。