遠く離れた場所
トリスタンダクーニャ島は、288人の住民が暮らす離島です。ここは世界で大陸から最も離れた有人の島で、南アフリカ共和国の海岸から約2,800キロも離れています。この島には空港が無いので、そこに行くには、7日間の船旅をしなければなりません。
羊のようだ
ガーナ北部で祖父と一緒に生活していたとき、私に与えられた家の手伝いは、羊の世話でした。毎朝、羊を牧場へ連れ出し、夕方には戻します。このとき初めて、羊の強情さを知りました。例えば、畑を見ると必ず入って行こうとするので、私は幾度となく農家の人たちに叱られました。また、暑さと疲れで木陰で休んでいると、羊たちは散り散りに繁みに入って、丘に向かって行きます。後を追いかけると、足が引っかき傷だらけになりました。羊が危険な目に遭わないようにするのは、本当に大変でした。羊泥棒が、さまよう羊を狙って襲うようなときは特にそうです。
心配ない
快適な空の旅が中断されようとしていました。機長のアナウンスで、飲み物サービスが止まり、シートベルトを閉めるように言われました。まもなく、飛行機は高波に揉まれる船のように揺れだしました。乗客はみな、懸命に乱気流に耐えていましたが、ひとりの小さな女の子だけが平然と本を読んでいました。着陸後に、なぜあんなに冷静だったのかと問われると、その子は言いました。「パパは機長よ。私をおうちに連れて帰るの。」
主は常にいつくしまれる
ベテラン新聞記者のスコット・ペリーは必ず、旅の必需品を持って取材に出かけます。短波ラジオ、カメラ、壊れないスーツケース、パソコン、携帯電話、そして、緊急時にどんな場所でも使える位置情報発信機です。それは、アンテナを延ばしてボタンをふたつ押せば信号を出し、その信号は人口衛星を通じて米国海洋大気局に届く仕組みになっています。「この発信機は私が誰で、何処にいるかを伝えます。どの国にいるかによって、救助隊の派遣の可否が決まります」とペリーは言います(AARP The Magazineより)。これまでに使わなければならなかったことは一度も無かったそうですが、今でも必ず携帯するのだそうです。
廃墟の中から
ティファレト・イスラエル・シナゴーグは19世紀、エルサレムのユダヤ人地区に造られましたが、1948年、アラブ・イスラエル戦争で爆破され、その後は廃墟のままでした。しかし2014年、再建工事が始まりました。市の役人が、がれきのかけらを取って礎石とする中、ある役人は哀歌の一節、「主よ。あなたのみもとに帰らせてください。私たちは帰りたいのです。私たちの日を昔のように新しくしてください」(哀5:21)を朗読しました。
老い支度
さり気なく「おばさん、調子はどう」と尋ねると、関節痛を患う84歳の友人は、「老いることはきついわ」と小さな声で言いつつも、「でも神は、ずっと良くしてくださったから…」と真心から語りました。
彼女の決心
友人が突然、夫を心筋梗塞で亡くしました。彼女はカウンセラーとして多くの人を慰めてきましたが、結婚して40年経った今、仕事が終わって誰もいない家に帰るという痛みと向き合わなくてはなりません。彼女は悲しみの中で、「心の打ち砕かれた者の近くにおられる」お方にすがりました。そして、辛い日々を神と歩む中で、「寡婦」であることに胸を張ろうと決心したと言います。なぜなら、その境遇は神が彼女に与えられたからです。
子どものためのレッスン
学校の給食時間に困ったことが起きていると小学生の娘が言うので、即座に、どうやって助けてやろうかと思いました。しかし、ふと別の考えが浮かびました。もしかして神は、ご自分が生きて働かれるお方であることを私の娘に教えて、娘の信仰を成長させようとされているのかもしれない…。それで、実際に助けるのではなく、娘といっしょに祈ることにしました。すると、問題は、私の助けなしに解決しました。
鳴り響くメッセージ
ロンドンのウェストミンスター宮殿の時計台には、ビッグベンと呼ばれる時の鐘があります。そのメロディーは、ヘンデル作曲の「メサイア」の「私は知っている。私を贖う方は生きておられる」の部分から取られ、「主よ、この時、導きたまえ、歩みを守りたまえ」という時計部屋に掲げられた歌詞は、後からつけられたと言われています。