Category  |  神の心配り

注意深く見守る

学校に向かって駆け出そうとしていた息子に「歯は磨いたの?」と尋ねました。そして、正直が大切な品性だと念を押しながら、再度、同じ質問しました。ところが、母親が優しく諭してくれていると気づいて感謝する様子もなく、息子は「洗面所に隠しカメラをつけたら」と冗談めかして答えました。そうすれば、彼が歯を磨いたかどうかを確認できるし、自分も嘘をつく誘惑に駆られずに済むではないかと言うのです。

主は私をご存じだ

夜中に160キロメートル離れた自分の村に帰ろうとしていました。神はそんな私を見ておられたでしょうか。その時の気持ちは複雑でした。私は高熱と頭痛で「主よ、あなたはここにおられるのでしょうが、とにかく私は痛いのです」と祈っていました。精根尽き果てて小さな集落の近くで車を止めました。少しすると「どうかしましたか?」と親切な人が声をかけてくれました。

安かれ、わが心よ

子どもを優しく抱きかかえ「よしよし」と言いながら、トントンと背中を叩く姿を想像してください。その行為と優しいささやきは、失望、不安、不快や痛みの中にある子どもを慰めて、落ち着かせてくれます。このような情景は時代にかかわらず普遍的で、私たちもそうしてもらったり、そうしてあげたりして生きてきました。私は詩篇131篇2節を読むと、そんな情景が心に浮かびます。

見てるよ

息子のザビエルが2歳の時、小さな靴屋で通路を走ったり、積まれた靴箱の後ろに隠れたりしました。夫のアランが「見てるよぉ~」と言うと、クスクス笑いました。ところが間もなく、夫は息子の名前を呼びながら必死で彼を探しています。私たちは大急ぎで店の正面に向かいました。すると息子は笑いながら、開いた扉を通って交通量の多い道に飛び出そうとしたのです。アランが間一髪で息子を捕まえ、私たちは抱き合いました。私はすすり泣きながら、息子の頬にキスをしました。

宣伝どおりに

夫婦でジョージア州に旅行したときチャタフーチー川で川下りをしました。「ゆったり川下り」とパンフレットに載っていたのでワンピースにサンダル履きだったのですが、急流下りのようです。しかし、急流下りのベテラン夫婦がいて、目的地まで誘導してあげると約束してくれました。私は、ボートの手すりを握りしめ、悲鳴を上げ、救命胴衣に感謝しつつ下っていき、やがてぬかるんだ岸辺に到着しました。ボートを降り、バッグに入った水を捨て、濡れた服の裾を絞りました。宣伝文句は間違っていましたが、大はしゃぎをして楽しみました。

時計とカレンダー

父は58歳で亡くなりました。父の命日になると、私は父が息子である私に与えてくれた影響について考えます。父と共に生きた人生よりも父無しの人生のほうが長くなったことに気がついた時、人生のはかなさにも思いを巡らすようになりました。

仲間外れ

子どもの時、仲間外れにされてみじめな思いをしたことがあります。母は私を元気づけようと、おどけた歌を歌ってくれました。そして私がニッコリすると、私を大切に思ってくれる特別な人が大勢いるという感謝な事実に気づかせてくれました。

やもめの信仰

アピの一日は夜明け前から始まります。中国のホンジャン村に住む人たちにとって、ゴムの樹液は主な収入源のひとつです。多くの樹液を採取するためには、日が昇る前にゴムの木に傷をつけなくてはなりません。村の人たちも、まもなく起き出すでしょう。アピは誰より早く起き、神と交わってから出かけます。彼女は、父と夫、ひとり息子に先立たれ、義理の娘とともに、年老いた母とふたりの幼い孫を養っています。彼女の話は、聖書に登場する、あるやもめを思い出させます。

記憶喪失

カリフォルニア州カールスバッド市の救急サービスが、オーストラリアなまりの英語を話す女性を救出しましたが、彼女は自分が誰なのか、どこから来たのか分かりません。また身分証も持っていませんでした。しかし医師たちの努力と国を超えた報道のおかげで、記憶を取り戻し、家族と再会できました。