Category  |  神の愛と心配り

文句ではなくお願いを

アレックスが高額な歯の治療費のために祈っていると、予想に反して保険でカバーされると告げられました。しかし、保険外の治療も必要で、その費用の捻出は困難です。彼はその状況にやり場のない怒りを感じました。ところが、請求書の支払期限の日、親戚から突然、現金書留が届きました。アレックスは自分を恥じたと言います。「保険でカバーされた時、神の介入を体験したはずでした。文句を言わずに、神に助けを求めて祈るべきでした」

神が形造る

ダン・レスは年季の入った陶芸家です。彼が賞を取った作品は、在住するルーマニアの町から着想を得たものです。父から陶芸を学び、自分の作品について次のように述べています。「土は1年間寝かせ、雨にさらし、凍らせ、溶かします。そうすると、土が私に耳を傾けていると手で感じることができ、作品が出来上がるのです」

進むべき道

スコットとブリーは、聖書の教えに背く生き方を選択した家族や友人に、どのように関わればよいだろうかと悩みました。しかし、聖書を学び祈るうちに、方向性が見えてきました。彼らはまず、その人たちをより強く愛しました。次に、神のご配慮によって彼らに与えられている長所を率直に伝えました。最後に、聖書の教えに沿って優しい気持ちで付き合いたいと伝えました。二人は、キリストの愛を注ぎ続け、時とともに、家族や友人たちと強い信頼関係が築かれました。

流れのほとりに植えられた

ビルは退職した高齢の男性で一人暮らしをしており、最近、車の免許を返納しました。食料品や薬などを買うときや日曜日の礼拝に行くときは、誰かに送迎してもらわなくてはなりません。しかし彼はこう言います。「家で過ごすのは悪くないよ。ネットで無料の賛美歌を聴いたり、バイブル・スタディをしたり、一日中楽しんでいる」。彼の日々は、神のみことば、祈り、賛美に包まれています。

そこに神の愛がある

ベンは子どもの頃、「大きくなったら何になりたい?」と聞かれると「デイブみたいになりたい」と答えたそうです。兄のデイブは、スポーツ万能で、友だちが多く、成績も優秀でした。一方、ベンは、運動音痴で内向的、学習障害もあったそうです。「僕はデイブと仲良しになりたかったけど、彼は違っていた。僕のことを『つまんないやつ』だと言っていた」と語ります。

神のあわれみを映す

ソビエト連邦がフィンランドに侵攻した冬戦争(1939年~1940年)の際、負傷して倒れていたフィンランド兵にソ連の兵士がライフルを向けながら近づいてきました。フィンランド兵はもうだめだと思いました。しかし、相手は応急処置のキットを渡して立ち去りました。その兵士は、なんと後日、逆の立場で同じ状況に出くわしました。負傷して倒れているソ連の兵士に遭遇した彼は、医療品を渡して立ち去ったのです。

神はあきらめない

エバンは長年、依存症に悩まされ、神に愛される資格などないと感じていました。ずっと教会に通ってはいましたが、神と自分の間には、埋めることのできない溝があるようでした。

低くされている者を愛す

教会に新しい家族が訪れました。私は車いすの少女に膝をついてあいさつし、私の介助犬カリーを紹介し、彼女のピンクのメガネと靴を褒めました。少女は言葉を話しませんが、その笑顔から、この出会いを喜んでいると分かりました。

キリストの逆説

アイザック・ワッツの讃美歌『栄えの主イエス』の歌詞に、「世の富 誉れは 塵(ちり)にぞ等しき」という逆説的表現があります。これはオクシモロン(矛盾語法)という修辞技法で「恐ろしく美しい」とか「公然の秘密」のように、矛盾する単語で他方を修飾するものです。ワッツは、この技巧を用いて深い真理を表現しました。