神の手のひらに刻まれた
チャールズ•スポルジョンは1800年代、ロンドンの教会で長い間、牧会していましたが「わたしは手のひらにあなたを刻んだ」と語るイザヤ書49章16節から何度も説教を取り次ぎました。彼は「このようなみことばは、何百回も説教されるべきだ」と言いました。「神の手のひらに…」という真理はあまりにも素晴らしく、私たちにとって、何度も何度も思い返すべきメッセージだからです。
私にとって良いもの
ダークチョコレートが好きなので、それが良いものかどうかネットで調べたことがあります。良いという人も、悪いという人もありました。牛乳、コーヒー、米など、ほぼすべての食品で同じことが当てはまるでしょう。賛否の情報が目まいがするほど大量にあるので、それを調べること自体、頭痛の原因になるかもしれません。
私たちの名前
ニューヨーク市の国立9月11日記念館に行った時、まずふたつの人工池のひとつにカメラを向けました。これらの池を囲む壁には銅板がはめ込まれ、ワールドトレードセンターのテロ攻撃で亡くなった約3千人の名前が刻まれています。自分の撮った写真を後で見ると、ひとつの名前の上に手を置いている女性の姿がありました。たくさんの人が、ここに来て愛する人の名前の上に手を置き、故人を偲んでいます。
不変の愛
私は高校生の頃、テニスの選抜チームのメンバーでした。自宅近くにあった4面のテニスコートで練習に明け暮れ、青春の多くの時間を過ごしました。
父の家に行く道
人生には辛い日々があります。出口のない闇のように感じて圧倒されるときがあります。私たち家族がそういう境遇にいた頃、妻が朝のデボーションのあとで、「神さまは、明るい日が来ても闇の中で学んだことを忘れないようにと言われている」と言いました。
愛されていないかも
私は親に対して、典型的な反抗期を送りました。父は既に亡くなっていたので、母は思春期の娘を育てる荒波をひとりで乗り越えていかなければなりませんでした。母が「ダメ」と言うたびに、私の自由や楽しみを奪うなんて、もしかしたら、愛されていないかも…と思ったことを覚えています。しかし今なら、愛しているからこそ、私にとって益とならないことに「ダメ」と言っていたのだと分かります。
神の思いやり
幼い孫たちは、自分で着替えることを楽しんでいます。時にはシャツを後ろ前に着たり、弟の方は、靴を左右逆さに履いたりすることが多いのですが、間違いを指摘することは、私にはできません。孫たちの無邪気さが可愛いのです。
最高のパパ
息子のザビエルが幼い頃、夫は出張で留守がちでした。出先から頻繁に電話をくれましたが、それでもザビエルには辛い夜がありました。そばにパパがいて欲しかったのです。そのとき私は、夫が作ったアルバムを見せて彼の気持ちをなごませました。ふたりが一緒にいる写真を見せ「これ、覚えてる?」と尋ねたものです。
理解し難い神秘
友人と散歩をしながら、聖書のみことばに祝福されるという話をしていました。しかし、友人が「でもね、旧約聖書はあまり好きではないの。難しいし、報復したりするでしょ。イエスはどこに行ったのって思っちゃう」と言うので、私は驚きました。