イエスはメイゼルを愛す
妹のメイゼルは幼い頃、皆に馴染みの讃美歌を「イエス、我を愛す。聖書がメイゼルに語るので、我、それを知る」と歌っていました。私はそれを聞くたびにいらつきました。「賢いお姉さん」の私は、正しい歌詞は「メイゼルに語る」ではなく「私にそう語る」だと知っていたからです。しかし、妹は思うままの歌詞で歌いつづけました。
不完全でも愛されている
日本の食料品は、美味しいのは当たり前で見栄えも大切、品質を重視し、少し問題があるだけで廃棄されます。しかし近年「訳あり商品」が登場しました。それは欠点があっても処分されず、低価格で販売されます。例えば、ひびの入った煎餅などです。日本に住む友人は「訳あり」という言葉は人間に対しても使われ、明らかに完全でない人を指すと教えてくれました。
偉大なる愛
最近、もうすぐ二歳になる孫のモリアを一晩預かりました。ひとりで泊まりに来るのは初めてです。朝から晩まで付きっきりで世話をやき、いっしょに遊んでやりました。そして翌日、親元に送り届けてバイバイすると、戸口に置いてあったお泊まりバッグをつかんで私についてきました。
慰めの手
看護師のメモに「患者あばれる」とありました。心臓手術の麻酔から覚めた後、アレルギー反応が起こりました。私はひどい状態でした。自分で呼吸管を抜いてしまわないように、腕は縛ってありましたが、身体が激しく震えて、そのひもを引っ張りました。ひどく恐ろしく、痛い経験でした。その中で、ベッドの右側にいた看護助手がそっと手を握ってくれました。それは思いがけない出来事でしたが、驚くほどホッとしました。私の身体は緩み、ひどい震えは止まっていきました。
はるかにまさる
私の誕生日は、母の誕生日の翌日です。10代の頃、小遣いで買えるプレゼントを探すのに苦労しましたが、母はいつも喜んでくれました。そして翌日、母がプレゼントをくれるのですが、それはいつも、私のプレゼントよりずっと良いものでした。それは当てこすりではありません。母は自分のお金を惜しみなく使って、私に贈り物をくれました。母のお金は、私の小遣いよりずっと沢山あったのです。
兄弟
私たちは年齢が近かったので、よく兄弟げんかをしました。父は自分も兄弟があるので理解してくれましたが、母は違いました。
神に抱かれて
妹と妹の子どもたちと昼食をしたときのことです。そろそろ終わりという時、妹は3歳の娘のアニカに昼寝の時間だと言いました。すると彼女は「でも、まだモニカおばちゃんに抱っこしてもらってない!」と涙を浮かべて抗議しました。妹は微笑みながら「じゃあ抱っこしてもらいなさい。どのぐらいしてもらいたいの」と尋ねると、彼女は「5分」と答えました。
新しい名で呼ばれる
マーク・ラバートンは次のように書いています。「音楽家の友人から、音楽性豊かだと言われたときは感動しました。そんな風に言われたことは一度もありません。楽器が弾けたわけでも、ソロで歌えたわけでもありません。それなのに、その人に知られ、愛されていると感じました。…私の内にある真実な何かに目を留めてくれたと感じたのです。」
良い羊飼い
私たち夫婦は病院の一室で不安な気持ちで待っていました。幼い息子が目の手術を受けています。私は心配で胃がチクチク痛みました。主に「平安を与えてください」と祈ろうと思い、聖書を開くと、イザヤ書40章が心に浮かびました。そして、何か新しく心に響くことがあるかしらと思いながら、良く知っているそのみことばを読み始めました。