パパ、どこにいるの
家の前で、娘からの電話です。「パパ、どこにいるの!」と慌てています。私は6時までに戻って演劇の練習に送っていくと言っていました。時間どおりです。なのに、娘は疑っています。私は「表だよ。パパを信用しなさい」と言いつつ、神は何度、私にそう言いたかっただろうと考えました。切羽詰まると、私も同様です。神を疑って「父よ、どこにおられるのですか」と心で叫びます。
神におまかせ
ネイトとシェリリンはニューヨークの日本食レストランで「おまかせ料理」を堪能しました。料理人に何もかもまかせる食事は初めての経験で、リスクがあるようで不安だったのですが、彼らは板長の選択と料理を心から楽しみました。
もう恐れない
誘拐された12歳の少女は、3頭の黒いたてがみのライオンに守られていました。少女は一週間前、7人の男に拉致され、森に連れ込まれて殴られました。しかし、数頭のライオンが叫び声を聞いて駆け付け、悪者たちを追い払ったのです。ライオンの群れは、彼女のそばを離れず、自分の子であるかのように守っていました。そして、エチオピア警察が来ると、そっとそこを去り、森に戻って行ったと言います。
最も安全な場所
巨大ハリケーン・フローレンスがノースカロライナ州ウィルミントンに迫り、娘は避難を決断しました。ハリケーンが進路を変えることを願って、最後まで踏みとどまりましたが、今や急いで重要な書類や写真、所持品など、持ち出すものを選ばなくてはなりません。「避難があんなに大変だとは思わなかったわ。でも、戻ってきた時に何か残っているかどう かなんて、分からないと思ったから」と後に なって語りました。
勇士のように歩む
エマは18歳。イエスを信じる喜びについてソーシャルメディアで 堂々と語ります。しかし、彼女の容姿を云々したり、イエスを信じているのは知性が欠けるからと言われたりなど、悪意ある中傷も多々あります。彼女は心無い言葉に深く傷つきますが、それでも大胆な信仰で福音を伝え、イエスに対する愛と隣人に対する愛を語ります。しかし時々、批判する人の言葉で自分を評価しそうになります。そんな迷いがわき起こるとき、彼女は神にすがり、迫害する者のために祈り、みことばを黙想し、聖霊によって力づけられて自信を取り戻し、前進します。
主人公
ある有名な神学大学院の説教の授業で、こんなことがあったそうです。ひとりの男子学生が、熱く、堂々と雄弁に説教し、満足気に席に戻ると、教授は、ひと呼吸して言いました。「力強い説教でした。構成 も良く感動的でした。唯一の問題は、神が主語だった文がひとつも無 かったことです。」
くじけない
義理の父の喜寿のお祝いに家族が集まったとき、人生で学んだ一番大切なことは何かと尋ねた人がいました。彼の答えは「くじけない」でした。シンプルすぎると思われるかもしれませんが、彼は、手放しの楽観主義や積極思考を説いているのではありません。辛いことを踏み越え歩んだ80年近い人生です。くじけずに進むという決意は、漠然とした希望ではなく、彼の人生に働かれたキリストを土台としています。
嵐の避け所
英国サマセットの崖道で雷と豪雨に見舞われた若い牧師がいました。1763年のことです。彼はほら穴に逃げ込み、チェダー渓谷を眺めながら、神を避け所として平安を見いだせる恵みを思い巡らしました。そして「千歳の岩よ、わが身を囲め」という印象的な言葉で始まる讃美歌を書きました(讃美歌260番)。
自分の武器を信じて
若い頃、文章セミナーに行くと萎縮してしまいました。周りの人は、正式な訓練を受けたり、長い経験があったり。私には、そのどちらもありません。私にあるのは、欽定訳聖書を読んで培った表現やトーン、リズムです。自分の「武器」とでも言いましょうか。それを使って、自分の文体や意見を表していくことが私の喜びであり、読者にも喜んでもらいたいと願ってきました。