Category  |  罪の赦し

鎖を壊して

ザンジバル島のストーン・タウンにあるクライスト・チャーチ大聖堂を見学し感動しました。この地はかつて東アフリカ最大の奴隷市場でしたが、その地に大聖堂が建てられました。建築家は、この作品を通して、福音が奴隷の鎖を打ち壊したことを示そうとしています。ここはもはや、残虐非道な行いの地ではなく、神のあわれみが映し出される地になりました。

赦すとは

ある日「父とふたりの息子―赦しの芸術―」という展覧会に行きました。その出品作はすべて、放蕩息子のたとえ話(ルカ15:11-32)を題材にしています。私はエドワード・リオハスの絵に特に心を動かされました。その絵は、わがまま放題に家出していった息子が、ぼろ布をまとい、うつむいて戻って来る様子を描いています。青年は死の国を後にして道を歩いていましたが、父はすでに彼に向って駆け出していました。その絵の下には「ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い」という聖書のみことばが添えてあります(20節)。

それゆえにさげすまれ

スザンナ・シバーは、18世紀、名声を博した歌手でしたが、結婚問題のスキャンダルでも有名でした。それで1742年、ダブリンでヘンデルの「メサイア」が初上演されたとき、彼女が独唱者であることを快く思わない聴衆が、少なからずありました。

王の冠

家族でテーブルを囲んで座り、発泡スチロールの輪にひとりずつ爪楊枝を差しました。イースターの前の数週間、我が家では夕食の時に、こうして「いばらの冠」を作っていきました。一本一本の爪楊枝は、その日、自分がやってしまった過ち、そして、その報いをイエスが身代わりになって受けてくださったことを表しています。この行為を毎晩つづけることで、私たち家族は、自分がいかに罪深く、どれほど救い主を必要としているかを覚えることができました。

雪のように白く

昨年12月、私たち家族は山岳地に行きました。私たちは常夏の地域で生まれ育ち暮らしてきたので、本物の雪を見たのは生涯初めての体験でした。地面に積もった白い雪を見ながら、夫が「『さあ、来たれ。論じ合おう』と主は仰せられる。『たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる』」(イザ1:18)のみことばを口にしました。

負債を棒引きにするお方

私は医療費の請求書を見て涙をこらえました。夫は長期の失業の後、仕事についたものの給料を大幅にカットされ、この請求の半分だけを精算するにも、月賦払いにしてもらわなくてはなりません。私は祈り、病院に電話しました。そして状況を説明すると、少し待たされた後、主治医が請求をゼロにしたと告げられました。私は涙声でお礼を言いました。寛大な処置に圧倒され、電話を切ると、神を賛美しました。そして、神のあわれみを忘れないために請求書を取っておこうと思いました。

再出発

クリスマスが終わって年末が近づくと、新しい年について考えます。子どもたちが冬休みに入って生活のペースがゆっくりしてくると、その年に起こったこと、来年の目標について思い巡らします。自分の失敗を思い出し、心が痛んだり、後悔したりもします。しかし、新しい年を迎えると思うと、やはり期待に胸が膨らみます。去年はどうであれ、再出発のときだと感じるからです。

きれいにされる

食器洗い機を開けると、どうしたことでしょう。きれいなお皿ではなく、粉まみれの食器が並んでいます。水道に問題が発生したのでしょうか。それとも食器洗い機が壊れたのかしら。

罪は赦された

子どもの頃、友だちを誘って近所のギフトショプに行きました。すると彼女は、クレヨン形の髪留めをつかんで私のポケットに押込み、店の外に引っ張り出したのです。私は罪の意識に一週間苦しみ、ついに母に泣いて打ち明けました。私は友だちに逆らえなかったことを後悔し、盗んだ品物を返して謝り、二度と万引きをしないと誓いました。店の人は二度と来るなと言いましたが、母は赦してくれました。過ちを正すために最善を尽くしたと母が言ってくれたので、私は安心して床につきました。