いつまでも神の子ども
教会で両親と共に礼拝をささげ「主の祈り」を唱和したとき、いつもの習慣で手をつなぎました。片方は母の手、もう片方は父の手をしっかり握って立っていると、突然、自分はいつまでもこのふたりの娘だという感動が、胸に迫ってきました。私は、もう中年と呼ばれる年齢ですが、今でも「レオとフィリスの子ども」と言われます。そのとおりです。そして私は、いつまでも神の子どもでもあるのです。
不断の助け
マーティーは骨髄を損傷してまひが残りましたが、MBAを取得するために学び続けました。母のジュディーは息子のためにすべての授業とゼミに同席し、ノートを取り、IT機器を使いこなしました。息子が卒業証書を受け取るときは、彼が講壇に上がるのを助けました。マーティーは母の不断の助けのおかげで難しい目標を達成しました。
言葉以上に
アフリカのある言語に翻訳された聖書が、完成を記念する式典で、その地の首長に贈呈されました。彼は感謝して聖書を掲げ「神が我々の言語を理解されることがわかった。私たちは母語で聖書を読むことができる」と叫びました。
神の道を歩む
私は幼い息子の肩に手をやりながら「こっちだよ」と言って、雑踏の中、妻と娘の後を歩くように促しました。家族で遊園地に行ったのですが、時間が経つにつれ、ますます息子から目が離せません。疲れてきたせいで、注意が散漫になってきたからです。私は少々うんざりしてきました。そのとき、ふと思ったのです。「これは私の姿ではないか。自分のしたいようにする誘惑に引かれて、神に従う歩みから、すぐにそれてしまわないだろうか。」
イエスにお目にかかりたい
ある女性の告別式で説教壇から祈りをささげていると「先生。イエスにお目にかかりたいのですが」(ヨハ12:21)と記した額が目に入りました。今、見送る人の人生に、私たちがイエスを見ていたことを思い出し、何と相応しいみことばかと感動しました。彼女の人生には困難も挫折もありましたが、その信仰は揺らぎませんでした。神の御霊が彼女の内に住んでいたので、私たちは彼女にイエスを見ました。
最高の贈り物
実家で休暇を過ごし、ロンドンの自宅に戻る荷造りをしていると、母が自分の指輪を持って来ました。プレゼントだと言うので「どうして?」と尋ねると、「あなた、この指輪がずっと好きだったでしょ。そろそろ似合うと思うわ。もう私の指には合わないし、私が死ぬまで待つことはないわ」と言いました。それは思いがけない贈り物でしたが、母の少し早い形見分けです。私は喜んで受け取りました。
私の目を開いてください
イスタンブールのカーリエ博物館に初めて行ったとき、天井のビザンチン様式のフレスコ画やモザイク画に、聖書物語が描かれていると思いましたが分からないこともありました。2度目は観光ガイドに色々案内してもらい、すべてがつながってきました。例えば、1番目の通路には、イエスの生涯がルカの福音書に基づいて描かれています。
言葉にできない
先日、仕事を終えた妻を迎えに行こうとして、スマホの音声入力を使い「ママ、どこに迎えに行けばいい?」とメールを送りました。子どもたちが巣立った後も、親しみを込めて妻を「ママ」と呼ぶことがあるからです。しかし、音声入力装置はこの言葉を聞き違えて「ババ」と文字化してしまいました。
バブーシュカ・レディー
ジョン・F・ケネディー米大統領が1963年に暗殺された際の映像に、コートを着た女性が写真撮影をしている姿が映っています。ロシアのバブーシュカ風スカーフをつけていたのでバブーシュカ・レディーと呼ばれ、この事件の謎のひとつです。未だ人物が特定されず、撮影されたフイルムも所在不明です。彼女は恐怖のあまり沈黙しているのだろうと歴史学者たちは推測しています。