Category  |  聖霊

あふれ出る

何ということでしょう。私は「あぁー!」と叫びました。パイプの詰まりを何とかしようと試みたのですが、失敗したことはレバーを引いた瞬間に明らかでした。水があふれ出て、私は呆然と立ちつくしてしまいました。

フェアプレイ

東南アジア競技大会のシンガポール代表、マラソン選手アシュリー・リウは、自分が先頭にいるのはなぜだろうと思いました。何と強豪選手たちがコースを間違い、後方にいるではありませんか。リウは、そのままにすることもできましたが、スポーツマンシップに反すると思いました。これで勝っても実力ではありません。他の選手のミスのためではなく、誰より速く走って優勝したいのです。彼は自分の信念に基づいて速度を落とし、後続の選手たちを待ちました。

神に満たされるとき

人生で最高のときのはずなのに、どうしたことでしょう。途方もなく孤独でした。大学を卒業してやっと正社員として本格的な仕事に就きました。しかし、大きな一歩を踏み出した感動はすぐに消滅しました。故郷を何百キロも離れた知らない町で、家具も無い小さなアパートに住み、知り合いは誰もいません。仕事は面白かったのですが、孤独で心が折れそうでした。

聖霊の力によって

山が行く手を阻んでいたなら…。ダシュラス・マンジの実話は感動的です。彼は妻を亡くしました。行く手を山に阻まれ、病院に救急搬送できなかったからです。マンジ氏は村人が同じ悲しみに遭わないために不可能に挑戦しました。22年をかけて山をこつこつとノミで削り、救急病院への道を切り開いたのです。インド政府は、彼が亡くなる前に、その功績をたたえました。

なおのこと、どんなにか

第一次世界大戦中の1915年10月、オズワルド・チェンバーズは英連邦軍のチャプレンとしてエジプトの訓練基地に赴任しました。平日夜間の集会を告知すると、400名の兵士らが広い兵舎に詰めかけました。彼は戦地で神を求める兵士たちと対話し「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」 (ルカ11:13)を引用しました。

力をもらった!

パチパチという大きな音にドキッとして、慌てて台所に駆け込みました。コーヒーメーカーを誤って空焚きしていたのです。私はコンセントを抜いてポットの持ち手を掴みました。それから、タイルのカウンターの上に置いても大丈夫かしらと、ポットの底を指で触ったのです。当然、指に火傷を負い、水ぶくれができてしまいました。

目に見えない力

ワシントンDCのナショナル・アート・ギャラリーで「風」と題された名画を見ました。その絵は、嵐が森林地帯を突き抜ける様子が描かれていて、高くて細い木々が左に傾いています。低木の茂みも同じ方向になぎ倒されています。

祈れない日々

開胸手術をする必要があると2015年の11月に分かり、私は少し動揺しました、当然、死が頭をよぎり、仲直りすべき人はいないか、妻や子の生活費は大丈夫かなどと考えました。術後すぐには働けないので、仕事の段取りなど、祈りと行動が必要でした。しかし、実際はどちらもできませんでした。私は肉体的にも精神的にも弱っていて些細なことも億劫でした。驚いたことに、祈ろうとすると身体の辛さに気が散り、心臓疾患で呼吸が浅いので、すぐに居眠りしました。私は苛立ちました。仕事どころか、生きながらえて家族と過ごしたいと祈ることすらできません。

王がおられる

思うように事が運ばず夫に八つ当たりすると、それは罪だと聖書のみことばから聖霊に示されましたが、その権威を無視してしまいました。夫婦関係を悪くしたり、神に反抗したりしてまで自分のプライドを守ることにどんな価値があるでしょう。全くありません。神と夫に赦しを求めるまでに十分なダメージを残してしまいました。