犠牲を忘れない
モスクワの聖会に招かれた時のことです。日曜礼拝の後に連れていってもらったレストランはクレムリンの近くで、着くとすぐ、婚礼衣装を着たカップルの行列に気付きました。それは城壁の外の無名戦士の墓に伸びています。彼らは、今日の幸せが誰かの犠牲の上に成り立っていることを心に刻んでいるのです。結婚式の花束を墓前に置き、その前で記念写真を撮る様子は、私には厳粛にさえ見えました。
愛を表す食べ物
親戚の少女の誕生日パーティーに行くと、その子の好きな物でいっぱいでした。部屋の飾りつけ、プレゼント、そしてごちそうです。彼女は、ステーキ、サラダ、ホワイトチョコとラズベリーのバントケーキが好きなので、母親は、ステーキを焼き、ほうれん草のサラダを添え、お気に入りのケーキを注文しました。これらは愛情を表しています。
天空で聖餐
アポロ11号月着陸船イーグルは、1969年7月20日、月の「静かの海」に着陸しました。バズ・オルドリン宇宙飛行士は許可を得て、聖餐のためのパンとぶどう酒を持参していました。月面に降りる前、彼は聖書を読み、天空での聖餐にあずかりました。彼は次のように書いています。「教会が持たせてくれた聖杯にワインを注ぎました。6分の1の重力の中、ぶどう酒は優雅にゆっくりと杯の側面を上っていきました」
神の手番
スクラブルという手元の文字を組み合わせて英単語を作っていくゲームが好きです。友人たちが、私の名前にちなんでKATARA(カタラ)と名付けた打ち手があります。最下位だった私が、最後に7文字の単語を作って大逆転したときの打ち手です。以来、このゲームをするたびに、負けている人は当時を思い出し、KATARAの手番に希望を託します。
共同体の記憶
神学者リチャード・モウは「求め続ける信仰」(原題:Restless Faith)の中で過去から学ぶことの重要性を語り、「健全な国家は『記憶の共同体』でなければならない」という社会学者ロバート・ベラーの言葉を引用しました。思い返すことは、絆をつなぐ共同体の大切な営みです。
思い出させてくださる神
イエスは思い出させる達人だ、と友人のボブ・ホーナーは言いますが、それはありがたいことです。私たちはすぐに疑い、すぐに忘れてしまいますから。
自分自身を見る
自分の姿を映して見ることができるのは、昔は水溜りや川など、ごく限られた場所でした。しかし、鏡が発明されて状況は変化しました。時代が下り、カメラが発明されると、自分の姿を映すことに関する強い関心は高まりました。写真は人生のあらゆる時の自分の姿を、そのまま保存することが可能です。これは家族の成長を記録するアルバム作りには良いのですが、心の健康にとってはどうでしょう。カメラに写る自分の姿に気を取られていると、外見ばかりが気になって、内側を吟味することをおろそかにしがちです。
神の食事を楽しむ
テーブルが丸いか四角いか、椅子が木かプラスチックか、さらには、どんな食事かは問題ではありません。もちろん、愛情こもった手料理なら、それに越したことはありませんが…。テレビを消し、スマホを触らず、いっしょにいる人との時間を大切にするなら、楽しい食事になります。
儀式の力
子どもの頃、我が家のルールは、怒ったままで寝てはいけないというものでした(エペ4:26)。姉弟げんかは、すべて寝るまでに解決しなければいけません。そして、この規則と対にあったのが、おやすみ前の「儀式」でした。両親が「おやすみ、子どもたち。大好きよ」と言い、私たちが「おやすみなさい、パパ、ママ。大好きよ」と答える「儀式」です。