数えることを学ぶ
息子は1から10まで数を数える練習をしていて、おもちゃから木まで、何でも数えます。私が目も留めないもの、例えば、道端に咲く花や私の足の指も数えます。
礼拝の門
偉大な都市と呼ばれる所に入るとき、門を通ることがあります。例えば、ブランデンブルク門(ベルリン)やヤッファ門(エルサレム)、ダウニング街の門(ロンドン)などです。その目的が防衛であれ、何かの記念であれ、門は内と外を区別します。皆に開放されている門もあれば、限られた人たちにしか開かれていない門もあります。
フーア!
アメリカ陸軍では、一団が同意承認を表すとき「フーア」と叫びます。元々の意味は定かではありませんが、「聞いた」「理解した」「認めた」という英単語の頭文字、H、U、Aを取ったという説もあります。私は兵役訓練で初めてこの言葉を知りました。
泣き笑い
昨年、修養会で久しぶりに昔の友人たちと会いました。再会を喜んで笑って過ごしましたが、同時に涙することもありました。心から恋しいと思っていたからです。最後の日は聖餐を共にしましたが、泣き笑いの聖餐式でした。私は、永遠のいのちをくださり、友人たちと楽しい時間を過ごさせてくださった神の恵みを喜びました。一方で、私の罪を贖うために多大な代償が払われたという厳粛な事実を前にして、涙がこぼれました。
ローマの美
イエスの物語はローマ帝国の繁栄という背景を踏まえています。紀元前27年、初代ローマ皇帝アウグストスは、200年におよんだ内戦を終わらせ、記念碑や寺院、競技場、政府の施設などを建て、ローマをみごとに復興させました。その時代の歴史家、大プリニウスによれば、それらは「世界がまだ見たことのない美しい建造物の数々」だったそうです。しかし、その美しさとは裏腹に、ローマの町、そして帝国は、崩壊のときまで残虐の歴史を紡いでいきます。何万人という奴隷や外国人、脱走兵や革命家たちが、道の脇に立てられた十字架につけられて、見せしめにされました。
カメレオン
カメレオンと聞けば、環境によって身体の色を変える能力を思い浮かべる人がほとんどですが、実は、他にも面白い特徴があります。私はカメレオンが歩いているのを見たことがありますが、どうやって目的地に到達するのだろうと思いました。カメレオンは、嫌々動かしているかのようにゆっくり片足を上げると、「気が変わった」と言わんばかりにピタッと止まり、それからまたゆっくりと足を伸ばして、地面が崩れることを恐れているがごとく、そっと着地します。それで、「カメレオン教会員にならないでください」と誰かが言うのを聞いて、私は笑ってしまいました。「今日は教会に行こうかな。いや、来週にしよう。うう~ん、もうしばらく待ったほうがよいかな…。」
太鼓叩きの少年
欧米で人気のクリスマスソングの中に、1941年に書かれた「リトルドラマーボーイ」があります。原題は「ドラムのキャロル」で、チェコの古いキャロルがベースです。マタイの福音書1~2章や、ルカの福音書2章のイエス降誕の話に太鼓叩きの少年は出てきませんが、この歌の歌詞は、礼拝というものの核心を突いています。太鼓叩きの少年は、3人の博士に召し出されてキリスト誕生の場所に来ました。しかし、博士たちと違って、彼は贈り物を持っていません。それで、自分にあるものを贈りました。少年は、「神のために精一杯鳴らそう」と言いながら、ドラムを叩いたのです。
神を祝おう
ガーナのアサモア・ギャンは、2014年ワールド・カップの対ドイツ戦でゴールし、チームメイトとダンスをしました。その数分後、ドイツのミロスラフ・クローゼは、ゴールを決めて前方宙返りをしました。「ゴールパフォーマンスには大きなアピール力があります。なぜなら、それは選手の情熱や性格、価値観を示しているからです」と語るのは、2002年のワールド・カップでゴールを決めた、アメリカ代表のクリント・マディスです。
主の臨在の喜び
ウェストミンスター信仰基準は「人間のおもな、最高の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を全く喜ぶことである」と述べます。聖書のみことばの多くは、喜びにあふれて感謝し、生きて働かれる神をあがめるようにと促します。すべての善いことは神から出ています。私たちはその神をほめたたえ礼拝します。