賜物 | デイリーブレッド公式サイト  - Part 3

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自分の武器を信じて

若い頃、文章セミナーに行くと萎縮してしまいました。周りの人は、正式な訓練を受けたり、長い経験があったり。私には、そのどちらもありません。私にあるのは、欽定訳聖書を読んで培った表現やトーン、リズムです。自分の「武器」とでも言いましょうか。それを使って、自分の文体や意見を表していくことが私の喜びであり、読者にも喜んでもらいたいと願ってきました。

声を使って

世界的なピアニストに会わせてあげると言われました。私は音楽漬けで育ち、バイオリンとピアノを弾き、独唱者として教会等で歌ってきたので、このチャンスに興奮しました。

彼に会ってみると、ほとんど英語が通じないと分かりました。そして何と、私にチェロを渡して、弾けと言います。そうすれば、ピアノで伴奏するからというのです。私はチェロを弾いたことがありません。それで、バイオリンの弾き方を真似てキーキーと音を出しましたが、ついに訳が分からなくなったと認めて、別れました。

そして目が覚めました。すべては夢だったのです。けれども、どうして夢の中で、「歌ならできます」と言わなかったのだろうという思いが残りました。

神は、他人の益のために用いなさいと(Ⅰコリ12:7)、私たちの才能や霊の賜物を育てる道をくださいます。祈り心で聖書に親しみ、賢い指摘に耳を傾けることで、私たちは自分の賜物が分かってきます。それぞれの賜物が何であれ、時間をかけて見つけ、用いなさいと使徒パウロは諭します。霊の賜物は御霊がみこころのままに分け与えられたのです(11節)。

神に誉れを帰するために、そして、イエスを信じる人々に仕えるために、聖霊にいただいた「声」を用いましょう。

賜物を喜び祝おう

重厚な音楽が鳴り響く教会堂のステージ。色覚異常のある画家ランス・ブラウンが、会衆を背に、筆を黒インクに浸して、白いキャンバスに十字架を描きました。そして、筆と手で、キリストの十字架の死と復活を物語っていきました。次に、黒い絵の具で大部分を塗りつぶし、白と青の絵の具で抽象画を仕上げます。全行程は6分弱。最後に、彼が絵を持ち上げて、上下を逆さにすると、慈愛に満ちたイエスの顔が現れました。

多くの賜物、ひとつの目的

トウモロコシは、私たちメキシコ人の主食です。トウモロコシには多くの種類があり、色も黄色、茶色、赤や黒、まだら模様のものもあります。しかし都会の人たちは、まだら模様のトウモロコシを食べません。レストランの経営者で研究者のアマド・ラミレスは、均一な物が良質な物だと思っているからだと説明します。しかし、まだら模様のトウモロコシは美味しく、トルティーヤを作るのに最高です。

神の指の跡

リーゴン・スティーブンズは経験豊かな登山家で、兄のニックと登っていました。ふたりで北アメリカの最高峰マッキンリーに登頂したことがあります。ところが2008年1月、彼らはコロラドの山で雪崩に遭って滑落し、ニックは負傷、20歳のリーゴンは亡くなりました。後にリーゴンのサックから日記帳が見つかり、ニックはその内容に深く慰められました。そこには次のような内省と神に対する賛美がいくつも記されていました。「私は神の作品だ。神の名が刻まれている。しかし、未完成だ。実際、神はまだ造り始められたばかり…。私の上には神の指の跡がある。私は唯一無二の存在…。この人生には私にしかできない仕事がある。」

協力する

孫たち小学生が協力して素晴らしい演奏会をしたことに感動しました。みんなで協力したので、美しい音楽が生まれたのです。

私ではない

休暇の間、鬚をのばしました。周りの反応は良好でしたが、ある日鏡を見て、「これは私ではない」と思い、カミソリを手にしました。

全面的に明け渡す

大学バスケットボールの選手だった時、シーズンの始めにはいつも、コーチのもとで、どんなトレーニングにも全力を尽くそう、と心に誓いました。練習に来てやった、と言わんばかりの態度で練習メニューに注文をつけていては、チームのためになりません。成功したアスリートたちはみな、コーチと強い信頼で結ばれています。チームのために、コーチを信頼してついていこうと覚悟を決めています。

何を贈ろうか?

クリスマスに教会堂を飾りつける奉仕を担当した人たちは、飾りつけのテーマを「クリスマスリスト」にしました。そして、通常の金銀のオーナメントは使わず、赤と緑の札を教会員に配り、その片面に、イエスから頂きたいもの、反対の面には、降誕を祝ってイエスに差し上げようと思うものを書いてください、と言いました。