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サメがかまないとき

子どもたちはワクワクしていましたが、私は不安でした。旅行で訪れた水族館には、小さなサメに触れられる水槽がありました。私はかまれたりしないのかとスタッフに尋ねました。すると、サメは十分すぎるほどエサをもらったばかりだと言われました。空腹でなければ、かまないのだそうです。

神の迂回路

神に「ノー」とか「今は違う」と言われたら、がっかりします。神の導きを感じていたならなおさらです。牧師になった頃、自分の得意分野と教会の必要が一致している就職先がふたつ浮上しました。ところが結局、どちらも流れてしまいました。二度の失望の後、別の打診があり、数名の候補者の中から選ばれました。そして、13年間、その教会で牧師として仕えました。

虚栄を燃やす

それは1497年2月、イタリア、フィレンツェの広場でのことです。修道士ジロラモ・サヴォナローラが火をつけました。燃やしたのは、芸術作品や化粧品、楽器や洋服などで、人々を罪や宗教的義務の怠慢にいざなう虚栄の品として、弟子たちとともに人々から没収したものです。これが後に「虚栄の焼却」として知られる出来事です。

楽しんで戦う

息子のブライアンは、高校のバスケットボール部のコーチです。ワシントン州のトーナメントを勝ち進んだ年、町の人は良かれと思って「今年は優勝ね」などと声を掛けてくれました。ところが、選手もコーチも、それをプレッシャーに感じたのです。そこでブライアンは、楽しんで戦うことをモットーにしました。

主は喜ぶ

祖母が最近、昔のアルバムを送ってくれたので目を通していると、一枚の写真に目が留まりました。私は2歳で暖炉の横に座っています。父は母の肩に手を回し、ふたりは笑顔で私を見つめています。私はそれを毎日使う鏡台の上に飾りました。これは両親の愛を思い出させてくれますが、実は、良い両親の愛も完璧ではありません。私は、人間の愛は不完全でも、神の愛は完全であることを忘れないために、この写真を取っておくのです。

かくれんぼ

見つかると思うとドキドキしました。いとこがすぐそこまで来ています。あと3歩、2歩、そして「みいつけた!」と笑いました。かくれんぼは幼い頃の楽しい思い出という人は少なくないでしょう。しかし、人生には見つかって欲しくない、むしろ「逃げたい」と本能的に感じる時があります。見つかれば、嫌われるかもしれないからです。

人をうらやまない

フランスの画家エドガー・ドガは、バレリーナの絵でよく知られていますが、友人でライバルのエドゥアール・マネをうらやむ言葉は、あまり知られていません。彼は、マネは「やることすべて、一発で決めるが、私は何度やっても上手くいかない」と語りました。

嵐の中で

6人家族の家が火事になり、父と息子は助かったものの、父は重傷、彼の妻と母親、そしてふたりの幼い子どもは、亡くなりました。彼らは私たちの教会員です。悲しいことに、このような悲惨な出来事が繰り返し起こります。なぜ悪いことが良い人に起こるのでしょう。昔からあるこの疑問に、当然ながら答えは今も見つかっていません。

弱くても

アン・シーフ・ミラーは1942年、流産をして敗血症になり、危篤になりました。その時、同じ病院に入院中の患者が、新薬を開発した科学者の知り合いがいると言いました。アンの主治医は行政に掛け合い、その薬を提供してもらうと、彼女の体温は一日で正常に戻りました。ペニシリンが、アンの命を救ったのです。