待つとは
ある女性が交通違反で捕まりました。園児を降ろすために停車中のスクールバスを待ちきれず、歩道に乗り上げて通過したのです。
あきらめずに祈る
ケビンは涙を拭いながら「おふたりを励ませればと思って」と、一枚の紙切れを私の妻に見せました。私たち夫婦は、娘がイエスを信じる信仰に戻ってくるように祈り続けてきました。ケビンは、母の死後、彼女の聖書の中にその紙を見つけたそうです。「息子ケビンのために」という文字の下には、彼の救いを祈る祈りの言葉が記されていました。
聖書の処方箋
グレッグとエリザベスの家では、学校に行っている4人の子どもと一緒に「ジョークの夕べ」を定期的に持っています。夕食の時、各々がどこかで読んだり聞いたり(自分で作ったり!)したジョークを披露します。これは一家が育んできた伝統で、食卓を囲んで楽しく過ごした思い出になります。笑いは、苦しい時でも気持ちを明るくし、子どもたちの健康にも良いようです。
聖人と罪人
エジプトの聖マリア(344-421年)は、バプテスマのヨハネのように荒野で修行しましたが、以前は淫らな快楽を求め男性を誘惑していました。絶頂期には、巡礼者を誘惑しようとエルサレムに向かいました。ところが、エルサレムで自分の大罪を神に示され、深く悔い改めて、荒野で孤独な修道生活を続けたのです。マリアの劇的な変化は、神の恩寵と十字架の回復の力がいかに大きいかを証しています。
人生の試練を理解する
友人の父が、がんと診断されました。彼は、抗がん剤治療の最中、キリストを信じる決心をし、病気の進行が止まりました。ところが18か月後、さらに悪い状態で再発。彼と妻は、この事態に戸惑いましたが、神を信頼する信仰は揺るぎませんでした。神が支えてくださったことを覚えていたからです。
美を楽しむ
市民病院の長い廊下を歩いていて、目が釘付けになりました。深みのあるパステルで描かれたアメリカ原住民ナバホ族の絵は、私を魅了し、前を行く夫に「ねえ!」と声を掛けました。そして、他の絵には目もくれず、その絵を見つめ「美しいわ」とつぶやきました。
神が見るもの
居間の窓から野原が見えます。朝、鷹やフクロウが、羽を休めているのを見かけます。ある時は、高い枝にハゲタカがとまっていました。「朝ごはん」を物色中にも見えましたが、その姿はまさに「帝王」でした。
昨日ほどではない
孫のジェイが幼いときのことです。両親が誕生日にTシャツをプレゼントしました。彼はすぐに着替えて、一日中、誇らしげに着ていました。翌朝もそのシャツで現れた息子に、父親が「ジェイ、そのシャツ、嬉しいかい?」と尋ねると、ジェイは「昨日ほどではないよ」と答えました。
最も小さい者に仕える
山火事が迫る中、男性が高速道路の脇にひざまずき、手を打って必死に何かを呼んでいました。犬を呼んでいるのかなと思った瞬間、ウサギがピョンと跳び出しました。男性はおびえたウサギを抱き上げ助けてあげました。このような小動物の救出シーンが、全国ニュースになるのはなぜでしょう。人は小さなものをいとおしむことに心惹かれます。しかし、小さなものを慈しむには大きな心が必要です。