流れ者の少年
ロドニー・スミスが1877年、教会でキリストを救い主として受け入れたとき「何だ。流れ者か」と侮蔑のささやきが聞こえました。無学なジプシーの家に生まれた少年を気に留める人はなかったでしょう。しかし、彼はそんな悪口に耳を貸さず、神が自分の人生に目的を持っておられると確信し、聖書と英語の辞書を使って独学で読み書きをマスターしました。そして「イエスへの道は、ケンブリッジやハーバード、イェール、また詩人たちによるのではない。カルバリの丘と呼ばれる古い道によるのだ」と語ります。彼は、神に用いられる伝道者となり、英国と米国で多くの人をイエスに導きました。
すべての民の神
ピーター・ファーラーは、クリスチャン・ロックバンド「ニュースボーイズ」のメインボーカルでしたが、すべての民族がひとつになって神を礼拝する様を「主は統べ治める」という曲で鮮やかに描きました。彼は、この曲をどこで演奏しても、信じる人たちの中を聖霊が動くのを感じると言います。
アビーの祈り
アビーは、飛行機事故で両親を失い、自らも重傷を負った青年のニュ ースを耳にしました。高校2年生のときのことです。知らない人でしたが、母親が「彼のために祈りましょう」と言ったので、いっしょに祈りました。
ピンを並べる
友人のエリンが足首にタトゥーを入れました。ボウリングのピンが倒れている絵柄です。彼女は、サラ・グローヴスの「ピンを並べる」という歌から発想したと言いました。ボウリングのピンは、並べても並べても倒されます。この歌は、一見無意味に見える日常の繰り返し作業や雑務の中に喜びを見つけようと、聴く人たちを励ますのです。
洗濯、掃除、皿洗い。私たちの生活には、片づけたと思ったら、始めなければならない繰り返し作業がたくさんあります。この種のイライラは古くからあるもので、伝道者の書にも同様の葛藤が記されています。著者は日々の労苦はすべてが空しいと語り始めます。「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる」(1:9)ので無意味だと語ります。
しかし、彼は私の友人のように、それらのことに喜びと意味を見いだすことができました。神を畏れ敬い、神の命令を守るなら、最終的に人生は満たされると思い至ったのです(12:13)。神は日常のありふれたことにも目を留めてくださり、忠実さに報いてくださるお方だと分かるとほっとします(14節)。
あなたが並べ続けている「ピン」は何ですか。終わりのない仕事に疲れを感じ始めたなら、立ち止まって、そのひとつひとつは神への愛のささげ物だと意識しましょう。
チャンスを逃さないで
週の半ば、祈り会が始まる前、私たちは前の晩の中秋の名月の話をしていました。月は地平線の上に鎮座しているかのように、大きく際立っていました。白髪のウェッブさんは、その場にいた最年長者でした。彼女は、神の壮大な自然を心から愛していました。当時、私たち夫婦は、ふたりの幼い子どもを育てていたので、彼女は助言をしたいと思ったのでしょう。「赤ちゃんに月を見せるチャンスを逃さないでね」と言いました。
砂漠で花を咲かせる
モハーヴェ砂漠は、砂丘や乾燥した渓谷、砂漠の台地や山々が連なります。しかし、アメリカの生物学者エドムンド・イエガーは、数年毎の大雨で、この砂地が野の草花で覆い尽くされることを発見しました。花の絨毯は毎年見られる現象ではありません。ちょうどよいときに大嵐が来て、乾燥した大地がたっぷりと水分を吸収し、太陽の熱で温められると、砂漠が鮮やかな色に染まるのです。
宝を見つける
ジョンとメアリーは自分たちの敷地内で、土から顔を出している錆びた缶を見つけました。掘り起こしてみると中には古い金貨が入っ ていました。さらに7つの缶が見つかり、合計で1,427枚の金貨が発見されました。
さあ、力を抜いて
ダーネルは痛いだろうなと思いながらリハビリテーション室に入りました。理学療法士は彼の腕を曲げたり伸ばしたりしました。また、違和感のある位置で腕を止めて数秒間支えては「さあ、力を抜いて」と優しく言いました。ダーネルは「さあ、力を抜いて」を毎回のセッショ ンで最低50回は聞いたと語ります。彼は、その言葉を思い出し、それは人生にも応用できることだと考えます。余計な心配をせずに、神のいつくしみと変わらぬ誠実を信じて力を抜くことができるはずです。
眠れない夜
大学生の頃、夏休みにコロラド州の美しい山の中にある民宿で働きました。その民宿のスタッフは、夜になると交代で夜番をします。私たちは寝ているお客さんを守るために、一晩中、森林火災に目を光らせるのです。最初は、人目に留まらない、疲れるだけの仕事だと思っていました。ところが、やがて、大いなる神の臨在の中で静まり、内省し、たましいがうるおされる特別な時間になったのです。
ダビデ王は神の臨在を渇望しました(詩63:1)。床についても、夜がふけても、それを求めました(6節)。これを読むと、ダビデが思い悩んでいたことは明らかです。もしかしたら、息子アブシャロムの反逆に対する深い悲しみを表したのかもしれません。しかし、ダビデにとって、夜は「御翼の陰」(7節)で、神の助けと癒しを体験する時でした。
もしかすると、あなたは今、人生の危機や困難に直面しているかもしれません。あなたの「アブシャロム」が重く心にのしかかって、心地よい眠りにつけずにいるでしょうか。家族の問題や仕事の責任、家計の苦しさという重荷が、あなたから安息の時間を奪っていますか。もしそうなら、眠れない時間は、神を呼び求め、神にすがりつくチャンスだと考えましょう。神の愛の御手があなたを支えてくださいます(8節)。