晩餐のアリストテレス
アリストテレスは、友人同士は対等なので神々の友になれる人はいないと言いました。天上の地位を捨てて人間と同じ低い身分になる神などいないと。しかしイエスは天の御座を後にして人と同じ者になられました(フィリ2:6-8、コロ1:16)。また、最後の晩餐(ばんさん)(マタ26:26-35)の席では、弟子たちに向かって、今後は彼らを友と呼ぶと言われました(ヨハ15:15)。もしアリストテレスがそこにいたならば、どう感じたでしょう。
キリストの光の内を歩む
ティムは、夜のホテルの部屋はずいぶん暗く、夜中に起きて歩くとつまずきそうだと思いました。しかし、実際はセンサーが装備されていて、人が起きて歩き出すと足元を照らしてくれるのです。
隣人を愛する
夏の嵐で隣から木の枝が飛んできて家の外壁が破損しました。庭には折れた枝や木の葉が散乱しています。一日の大半を庭の掃除に費やしながら、「うちには木なんかないのになぁ」と笑って乗り越えようとしました。本当です。1メートルに満たない松が3本あるだけで大木はありません。近隣の家の庭木のせいで後始末に追われているのです。
独りではない
私は長年、さまざまな理由で孤独と闘う人たちの祈りの友になってきました。家族の訪問もない高齢者施設で暮らす人、独りぼっちの自宅が嫌で毎日出歩いている人、悩みを打ち明けられる相手がいない牧師、世間から孤立している家のない人などです。
とこしえに真実なお方
米国史上最悪の森林火災の一つと言われるのは、ウィスコンシン州北東部のペシュティーゴ火災です。有名なシカゴ大火の同夜(1871年10月8日)に発生したせいであまり知られていませんが、シカゴ大火より数百人以上多くの死者を出しました。ペシュティーゴは急成長中の製材業の町で、木造建築が建ち並んでいました。猛火は突風にあおられ、1時間も経たない間に町を焼き尽くしました。後に残ったのは焦げた陶器やレンガ窯などでしたが、その中に何と小さな開いたままの聖書があります。表紙は焦げ、熱でページは炭化していますが、原型を留めています。それは現在、市内の博物館に展示されています。
委ね、平安を得る
側面に「神に委ねる!」と書かれた箱は、祈りが書かれた紙で満杯です。ケイラは渋い顔で新しく書いた紙を押し込むと、箱の中の紙に目を通しながら深いため息をつきました。「どうしたら神に届いていると確信できるかなあ」と友人のシャンテルに言いました。シャンテルは聖書を見せて「神は約束を守られると信じて、祈りを書いたり、取り出して読んだりしたら、そのたびに、神様に委ねるの」と応じました。
キリストに似た人
私が子どもの頃、アメリカ人の娯楽は野球でした。私も草野球に興じ、チーム名の入ったジャージを受け取った時は最高でした。私の背番号は9番。背番号は一人一人違いますが、同じユニホームを着れば、同じチームの選手だと分かります。
神に支えられて
父が退院して在宅介護が始まりました。栄養補給の管につながれ、寝たきりで、24時間のケアが必要です。私は母の胃の手術の準備もあり、仕事ではくせ者の顧客に悩まされ、精神的に参っていました。ある日トイレで一人「父よ、助けてください。今日一日、そして明日も明後日も、生き抜く力を与えてください」と涙ながらに訴えました。
信仰が試される
ローマ皇帝マクシミアヌスは、紀元304年、小アジアのニコメディア(現在のイズミット)に凱旋(がいせん)し、異教の神々に勝利を感謝する戦勝パレードに市民が招集されました。しかしキリスト者は例外でした。マクシミアヌスは教会に来て、信仰を捨てて罰を免れよと迫りましたが、会堂いっぱいの人々は、彼の最後通告を拒否しました。皇帝は彼らを閉じ込めて教会堂に火をつけ、全ての信者を殺害しました。