はるかにまさる
外でサイレンが鳴り、幼い子どもが何の音かと尋ねました。母親は、それは竜巻警報で、地下に避難しないと巻き込まれて死んでしまうかもしれないと説明しました。すると少年は「それは悪いことなの? 死んだらイエスさまに会えるのに」と言いました。
砕かれ新しくなる
父は第二次世界大戦中、陸軍に入り、南太平洋に行きました。そして、「松葉杖はいらない」と言ってすべての宗教を拒否しました。しかし、そんな姿勢が全く変わる日が来ました。その夜、母は3人目の子どもを出産しようとしていました。兄と私が床につくときには陣痛が来ていて、私たちは翌朝には弟か妹が生まれているとわくわくしながら眠りにつきました。そして朝起きると、「赤ちゃんは男の子、女の子?」と父に尋ねました。すると父は、「女の子だったけど、死んでしまった」と答えたのです。私たちは悲しくて一緒に泣きました。
ローマの美
イエスの物語はローマ帝国の繁栄という背景を踏まえています。紀元前27年、初代ローマ皇帝アウグストスは、200年におよんだ内戦を終わらせ、記念碑や寺院、競技場、政府の施設などを建て、ローマをみごとに復興させました。その時代の歴史家、大プリニウスによれば、それらは「世界がまだ見たことのない美しい建造物の数々」だったそうです。しかし、その美しさとは裏腹に、ローマの町、そして帝国は、崩壊のときまで残虐の歴史を紡いでいきます。何万人という奴隷や外国人、脱走兵や革命家たちが、道の脇に立てられた十字架につけられて、見せしめにされました。
あなたの目的
ある暑い日。テキサス州西部の町で姪が見たという女性は、意外なことが書かれた板を持って信号の脇に立っていました。
疲れた者へ力を
素晴らしく晴れた日、重い心を抱えて公園を歩いていました。問題はひとつではなく、ことごとくうまくいっていないという状況でした。ベンチに腰かけると、小さなプレートがつけられていて、「誠実な夫、父、兄、そして友人だったあなたを偲んで」と書かれていました。また、「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」(イザ40:31)という聖書のみことばも記されていました。私は、神がこのみことばをもって、直接語りかけてくださっていると思いました。
主よ、助けてください!
友人が妊娠したと知り大喜びしました。予定日を指折り数えて、いっしょに待ちました。ところが、赤ちゃんは分娩時に脳に障害を負ったと知り、私の心は張り裂けんばかりでした。どのように祈ったらよいのか分かりません。ただ、祈る相手が神だとは分かっていました。神は私たちの父であり、呼べば応えてくださるのですから。
単純な話ではない
旧約聖書の律法を見ると、人生は明快です。神に従えば恵まれ、背けば困難に見舞われる。もっともな話かもしれませんが、実際、そんなに単純でしょうか。
知っていること、行うこと
中国の哲学者、韓非子は人生について、「事実を知るのは易しい。事実に基づいていかに行うか、それが難しい」と考察します。イエスのもとに来た金持ちには、この問題がありました。彼はモーセの律法を知っていて、小さい頃から守っていると言います(マコ10:20)。 しかし、それに加えて何か聞けるかもしれない、と思ったのでしょう。「尊い先生、永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか」と尋ねました(17節)。ところが、イエスの返答にがっかりしました。持ち物を売り払って貧しい人たちに施し、自分について来なさいと言われたのです(21節)。
聖なる心の賛美
友人のマイルナは外国旅行中、礼拝をささげるために教会に行きました。その教会の人たちは会堂に入るとまず、正面から顔を背けてひざまずき、祈っていました。人々は礼拝の前に、自分の罪を神に告白していたのだそうです。