救い主キリスト
リオデジャネイロの街を見下ろすように立つ、有名なキリスト像があります。このキリスト像は腕を伸ばしていて、その姿はまるで十字架のようです。ブラジルの建築家、エイトール・ダ・シウヴァ・コスタがデザインしました。彼は、この街の人が夜明けの薄光の中で、一日の始めにこのキリスト像を見るだろうこと、そして夕方には、沈みゆく太陽の円光を背景に、それを見るだろうことを心に描きました。
助けてほしくない人
水難事故の救助を学んだとき、助けさせてくれない人をどうやって助けるか、という方法を学びました。インストラクターは言いました。「溺れている人の後ろから近づき、その人の腕と胸の間にあなたの片腕を通して、安全な場所を目指して泳いでください。前方から近づくと、つかまれて、ふたりとも沈んでしまうかもしれません。」パニックと恐怖心は思考力を麻痺させ、賢明な行動を取れないようにさせます。
夜の声
詩篇134篇は3節だけしかありませんが、小さいことが大きな意味をもつという証明書です。最初の2節は、夜ごとに神の家で仕える祭司たちへの訓戒です。聖所は暗くて、がらんとしています。これといったことは起こりません。少なくとも、起こりそうにありません。それでも祭司たちは、「聖所に向かってあなたがたの手を上げ、主をほめたたえよ」と促されます(2節)。3節は会衆の声です。夜の暗闇と孤独に、「天地を造られた主が、シオンからあなたを祝福されるように」と呼びかけます。
物語の全貌
なぜイエスさまは十字架で死なれたのかと、5歳の孫のダラスが質問したので、私は罪のことや、イエスが自ら犠牲になってくださったことを説明しました。すると、彼は走っていって遊び出しましたが、ほどなく、同じ年のいとこのケイティに、その話をしているのが聞こえました。「でも、イエスさまは死んでないでしょ」とケイティ。「いいや、イエスさまは死んでいる。十字架で死んだっておじいちゃんが言ったもの」とダラス。
隠された神秘
自然界で起こっていることの大半は、目にすることができません。見るには小さすぎたり、速すぎたり、逆にゆっくりすぎたり、という動きだからです。ところが、映像作家ルイ・シュワルツバーグは、文明の利器を使って、毛虫の口、ミバエの目、きのこの成長過程などをカメラに収め、驚くような映像の世界を作り上げました。
すべてをささげる価値がある
ライオンに食べられるクリスチャンを見物する、というローマの娯楽は4世紀末には止んでいましたが、剣闘士の決闘は続いていました。ところが、大胆にも観客の中から飛び出して、剣闘士に殺し合いを止めさせようとした人がいました。彼の名はテレマコス。砂漠に住む修道士で、休暇でローマに来ていましたが、この血に飢えた人気興業に耐えられなくなりました。5世紀の教会歴史家で司教でもあったテオドレトスによると、テレマコスは大声をあげて暴力を止めさせようとしましたが、群衆に投石され、逆に殺されてしまいました。皇帝ホノリウスは、彼の勇気を耳にして、剣闘士の競技を中止するように命じました。
水の上を歩く
操船を習ったとき、レッスン用の小舟まで、ぐらぐら揺れる浮きデッキの上を歩きました。私はバランス感覚が悪いので、デッキと舟の間に落ちそうで、舟に渡るのをちゅうちょしました。あきらめそうになったとき、「私をしっかり見て」とインストラクターに言われました。「私はここにいます。あなたが滑ったら捕まえてあげます。」私は言われた通りにしました。そして、初級船舶免許を取得したことは、ちょっとした自慢です。
愛に満ちた父
見るからに疲れ切った夫婦が、ふたりの活発な幼稚園児の息子を連れて乗り継ぎ便を待っていました。搭乗予定の便は遅れています。私は混み合った待合室で走り回る子どもたちを見ながら、目的地までの30分間、あの子たちをじっとさせておくのは至難の業だと思いました。やっと機内に入ると、父子の席は私の後ろでした。そして父が息子に「本を読んであげようね」と疲れた声で話すのが聞こえました。この優しい父親は、着陸まで、静かな声で辛抱強く本を読みつづけ、息子を本に集中させました。
迷子の羊
ローラは山羊と羊を借りてトラックに乗せました。キリスト降誕劇のリハーサルのためです。動物たちは少しの間バタバタして、頭突きをしたりしていましたが、やがておとなしくなりました。動物を乗せて教会に向かう途中、ガソリンスタンドに立ち寄りました。