追い求める神
スコットランド、ブローラ村の海に面した断崖絶壁に、1頭の羊が取り残され、2年もの月日が経ちました。何度か救出が試みられましたが、捕獲に失敗しました。しかしある日、農夫のキャミー・ウィルソンと4人の友達が、危険な救助作戦を敢行しました。3人が約250メートルの崖を慎重に下って羊を捕まえ、その後、巻き上げ機で引き上げたのです。
神の約束にすがる
昼休み、皆の机の上に部長からチョコレートが配られていたのに、ウエンディの机にはありません。彼女は親しい同僚に「なぜ?」と言いました。上司はこう明かしました。「あのチョコレートはまだ十分おいしいけれど、ちょっと古かったからね。妊娠中のウエンディに万が一のことがあってはいけないから」。そして笑いながら「他の皆はねぇ……」と言いました。
常に準備を
ベティは10代でイエスを信じ、主に仕え、主を喜ばせようと最善を尽くしてきました。教会の礼拝、祈祷会、聖研に出席し、日曜学校で教え、開拓中の教会を訪問し奉仕しました。牧師の妻となると、夫婦で主と教会の人たちに仕え、機会を捉えてさまざまなキリスト者と交わりました。102歳になった今も、神を喜ばせるためなら何でもするつもりです。クリスチャンの集まりに気乗りしない人たちも、高齢のベティが行くなら自分も行こうと思うそうです。そんなベティは、天国で救い主に会う日が待ちきれません。「主に会う準備はできています。主を愛していますから」と語ります。
辛苦を無駄にしない道
その痛みを無駄にしないでね、という彼女の言葉に、急死した彼女の息子の葬儀を司式した過去を思い出しました。彼女は心の痛みを知っています。同時に辛苦を無駄にしない道があることも実体験から分かっていました。神は、ご自分の栄光のために、また、人を助けるために、それを用いることができるのです。
苦楽を通して
牧師のマークは幼い息子を亡くしました。親子でボール遊びをしている最中、突然倒れたのです。彼は打ちのめされました。しかし、この出来事を通して、彼は同情心の厚い牧師になりました。私はマークの深い悲しみに寄り添いながら、A・W・トウザーの明察を思いました。「深く傷つけられたことのない人を、神が大きく祝福できるかどうかは疑わしい」。悲しいかな、そうなのでしょう。
命にもまさる
修養会の最中に体調が悪くなり、夫たちがいる坂の上の礼拝堂に後から向かいました。薄暗い山道の木製の階段をゆっくり上り、崩れかけた丸太の上でたった一人立ち止まり一服しました。賛美歌が聞こえだすと「主よ、助けてください」と小声で祈り、ゆっくり歩いて小さな部屋を目指しました。治まらない疼痛(とうつう)の中で呼吸を整え、私の声を聞いてくださる神に感謝しました。
神の約束に励まされて
病院での診察や検査に一日中かかりました。利発な19歳の青年を苦しめている病気の正体はいまだ分かりません。その親子は落胆して家路につきました。すると驚いたことに、玄関扉の前にきれいに飾られた箱が置かれていました。正面にはイザヤ書43章2節が印刷されていて、中には友人らが手書きした励ましのみことばが、たくさん入っていました。親子は、友人たちの思いやりと聖書のみことばに元気づけられるしばしの時間を過ごしました。
新しくて確かなもの
友人のスーザンは3年間、生活必需品以外は自分のために何も買いませんでした。新型コロナウィルスの大流行のために収入が激減し、質素な暮らしを余儀なくされたのです。ある日、部屋を掃除していると、何とみすぼらしく、色あせた物ばかりかしらと思ったそうです。彼女は言います。「その時、新しいものを手にしたときのワクワク感が欲しい、と思ったの。くたびれて生気がないものに囲まれて、この先、楽しみは何もないかのように感じたのよね」
希望の光
クリスマス休暇はがん治療センターに入院中の母を見舞う予定でした。私の願いはただ、母ともう1日、一緒に過ごすことでした。母のベッドの横に掛けられているはずだった赤い十字架。それは今、我が家の質素なツリーに掛けられています。息子がライトをつけました。小声で「ありがとう」と言うと、「どういたしまして」と息子。しかし、私の感謝は神に向けられていました。神は点滅する光を用いて、決して消えない希望の光に注目させてくださったのです。