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悲しみのトンネル

親友を交通事故で亡くしたのは19歳のときでした。それから数か月間、悲嘆にくれて生きていました。前途洋々とした年若い友を失った心の痛みで、周りのことが目に入らないこともありました。辛くて悲しくて、神さえ見えなくなりました。

それでも希望がある

デイリーブレッドに1988年以来、多くのデボーションエッセーを書いていますが、忘れられないものがいくつかあります。ひとつは90年代半ば、娘3人がバイブルキャンプや宣教旅行などに行き、6歳の息子とふたりで空港見学に行った話です。息子は振り向いて「メリッサがいないとあまり楽しくないね」と言いました。二歳年上の姉で彼の相棒です。

真の希望

エンパイアステートビルを見物に行った時のこと、入場待ちの列は短く、ビルの角を曲がった辺りでした。ところがビルに入ってびっくり。長蛇の列がロビーから上の階の奥まで伸びていて、前に進めば進むほど、先は長いと感じました。

神が現れた

高齢で亡くなった元帰還兵の告別式で、故人は今どこにいるでしょうと牧師が問いかけました。ところが彼はどうすれば神を知れるのかについて語らず、聖書とは無関係の話をしました。私は思いました。それでは、どこに希望があるのか…。

現実の世界

当時17歳だった娘のメリッサを自動車事故で亡くしてから十年以上の歳月が流れましたが、今でも、もし…だったら、あの夜、娘は無事に帰宅していたのではないかと考えてしまうのです。悲しいのですから仕方ありません。

再建

久しぶりにベルリンに戻ると、かつて愛した町はもうなかった…と、エドワード・クリーは、ユナイティッド航空の機内誌に書いています。ベルリンの町も、自分自身も、すっかり変わっていました。懐かしい場所に行っても、悲しいだけかもしれません。自分も、大切な思い出の場所も、昔のままではないからです。

驚くべき愛

旧約聖書の史実の中で、最後の一大事はエルサレム帰還です。神は捕囚の民をエルサレムに帰らせ、再び住まわせてくださいました。人々は故郷に戻り、神殿を再建し、城壁を修復しました。このことはエズラ記とネヘミヤ記に記されています。

皆無事です!

エンデュアランス号は1915年1月、南極沿岸で氷塊に囲まれて座礁しました。アーネスト・シャクルトンを隊長とする探検隊のメンバーは、三隻の救命艇に乗り移って脱出し、エレファント島に漂着しました。しかしここは無人島で、正規の海路から遠く離れています。そこで1916年4月24日、シャクルトンと5人の同伴者は、22人の仲間たちに見送られ、小さな救命ボートで1,300キロほど離れたサウス・ジョージア島を目指しました。これは生還する唯一の望みであり、また大胆な試みでした。何と嬉しいことでしょう。4か月後、船が地平線に現れ、「皆元気か!」と叫ぶシャクルトンの声が聞こえました。その返事は、「皆無事です。皆元気です!」でした。

ハエが教えてくれたこと

今の事務所を借りたとき、数匹のハエが死んでいました。生きとし生けるものの行く道です。床や窓枠に死骸が残っていました。私はそれを片付けましたが、ひとつだけ残して眺めました。