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皆無事です!

エンデュアランス号は1915年1月、南極沿岸で氷塊に囲まれて座礁しました。アーネスト・シャクルトンを隊長とする探検隊のメンバーは、三隻の救命艇に乗り移って脱出し、エレファント島に漂着しました。しかしここは無人島で、正規の海路から遠く離れています。そこで1916年4月24日、シャクルトンと5人の同伴者は、22人の仲間たちに見送られ、小さな救命ボートで1,300キロほど離れたサウス・ジョージア島を目指しました。これは生還する唯一の望みであり、また大胆な試みでした。何と嬉しいことでしょう。4か月後、船が地平線に現れ、「皆元気か!」と叫ぶシャクルトンの声が聞こえました。その返事は、「皆無事です。皆元気です!」でした。

ハエが教えてくれたこと

今の事務所を借りたとき、数匹のハエが死んでいました。生きとし生けるものの行く道です。床や窓枠に死骸が残っていました。私はそれを片付けましたが、ひとつだけ残して眺めました。

希望のさざ波

アメリカ合衆国上院議員ロバート・ケネディは、1966年の南アフリカ訪問の際、ケープタウンの大学でアパルトヘイトの反対者を前に、有名な「希望のさざ波」という演説をしました。「人はいつも、理想のために立ち上がり、人々がより良く生きられるように行動し、不正義にあらがおうとする。そのたびに、人は小さな希望のさざ波を呼び起こす。そのさざ波は、他の幾多のエネルギーや勇気の中心から生まれたさざ波と交差する。そして、その波はひとつの流れとなり、抑圧と抵抗の大きな壁を押し流す。」

希望は生きる

思いもかけない悲劇に襲われ、人生に亀裂が生じると、人はなぜと問いかけます。最近、十代の子どもを亡くした母親に言われました。「分からなくなりました。信じつづけていけるでしょうか。神のなさることに納得しようとしても、どうしてもできないのです。これはいったい、どういうことなのでしょう。」このような大きな疑問に対して、平易な答えはありせん。しかし、イエスを信頼するなら、希望があります。幸せに浴していても、悲しみに押しつぶされそうだったとしても…。

私のもとに来なさい

シャルロット・エリオットは1834年に「ほふられたまいし」(聖歌271)を書きました。彼女は、病気で長年寝たきりだったので、女子の学校の運営資金集めを助けたいと思っても、どうすることもできませんでした。彼女は無力さを嘆き、その葛藤は彼女の信仰を揺るがすほどでした。彼女は「ほふられたまいし」を書いて、自分の疑いに応答しました。彼女の苦悩は、次の歌詞に最もよく表されています。

希望をもたらす贈り物

巨大台風が、2013年にフィリピンのタクロバンを襲い、推定で1万人が亡くなりました。そして生存者の多くは、家や仕事を失いました。物資も乏しく、3か月が経っても復旧はままならない状況でした。そのような時、またも暴風雨がやってきましたが、その中で赤ちゃんが生まれました。悪天候は台風の辛い記憶を呼び起こしましたが、近所の人たちは協力し合って助産師を探し、母親と赤ん坊を診療所に連れていきました。その赤ちゃんは回復してすくすく育ち、住民の苦難の中で希望のシンボルとなりました。

健康な性質

前向きな姿勢を育てると健康に良いと、昨今よく言われます。それは、医者から厳しい宣告をされたときであろうと、山積みの洗濯物を前にしたときであろうと同じです。北カリフォルニア大学のバーバラ・フレデリクソン教授(心理学)は、喜びや感謝、敬愛など、前向きな感情を創出する行いをしなさいと推奨します。しかし、「優しい気持ちを持てれば良いなあ」と漠然と願うだけではうまくいきません。それはみんな分かっています。喜びや平安、そして愛の源となる、しっかりとしたよりどころがなければダメなのです。

遅すぎる?

長年の癖が染みついて変わることが難しいという意味のことわざは、色々な言語にあります。英語では「老犬に新しい芸を教えることはできない」、フランス語では「老いた猿に面白い顔をさせることはできない」、スペイン語では「年取ったオウムは話せない」などです。

悲嘆と希望

アメリカのカントリー歌手、ジョージ・ジョーンズが81歳で亡くなったとき、ファンは彼の素晴らしい歌声や波乱に満ちた人生に思いを馳せました。その曲の大半には、ジョーンズ自身の切なさやあこがれが映し出されていましたが、それ以上に人を感動させたのは、彼の歌い方でした。シカゴ・トリビューン紙の音楽批評家グレッグ・コットは、「ジョーンズの歌声は、心の痛みを伝えるために造られた」と語りました。