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恐れに打ち勝つ

その男性は32年間、恐れに支配されていました。罪を犯し、逮捕を恐れて納屋に隠れました。どこへも行かず、誰にも会わず、母親の葬儀にさえ出席しませんでした。64歳になった時、実は被害届が出ていなかったと知りました。刑務所行きの可能性は確かにありましたが、それに対する恐れが、彼の人生を支配したのです。

私たちを導く灯

古代のランプの展示を美術館で見ていると、イスラエルのランプもありました。装飾を施された楕円形の粘土の容器には燃料と芯のために2ヶ所の開口部があります。これらは当時、主に壁のくぼみに置かれましたが、大きさは手のひらサイズです。

もう恐れない

誘拐された12歳の少女は、3頭の黒いたてがみのライオンに守られていました。少女は一週間前、7人の男に拉致され、森に連れ込まれて殴られました。しかし、数頭のライオンが叫び声を聞いて駆け付け、悪者たちを追い払ったのです。ライオンの群れは、彼女のそばを離れず、自分の子であるかのように守っていました。そして、エチオピア警察が来ると、そっとそこを去り、森に戻って行ったと言います。

歌で強められる

第二次世界大戦中、ナチスから逃げたユダヤ人難民を、フランスのある村の人々がかくまいました。森の中に隠れていたユダヤ人たちに、出てきても大丈夫と知らせるために歌を歌いました。勇敢なル・シャンボン=シュル=リニョンの住人は、アンドレ・トロクメ牧師夫妻の呼びかけに応え、「プロテスタントの山」として知られている広い丘陵地帯で彼らを保護しました。歌で合図という行為は、村人の勇気の一端です。そのおかげで、3千人ものユダヤ人が死を免れました。

偽りの安心

我が家の愛犬ルパートは、子犬の頃、外出をとても怖がりました。公園に行くときは、引きずるようにして連れていかなければなりません。ある日のこと、私は愚かにもルパートをリードから放してしまいました。すると彼は、安心の我が家に一目散に駆けていきました。

わざわいを恐れません

アーカンソー州リトルロックのセントラル中高等学校は、白人の子どもだけの学校でしたが、1957年、9人のアフリカ系アメリカ人を入学させました。彼らは「リトル・ロック・ナイン」と呼ばれ、メルバ・パティロ・ビールズは、そのひとりでした。ビールズの回顧録「私は恐れない:炎の中で信仰を築く」は、2018年に出版され、15歳のビールズが毎日直面した胸を引き裂くほどの不平等と嫌がらせを赤裸々につづっています。

また、彼女の深い信仰にも触れています。恐怖に打ちのめされそうな闇の世界で、ビールズは幼い頃に祖母に教わった聖書のみことばを暗唱しました。みことばを何度も声に出してくり返すと、神の臨在を感じて勇気づけられました。

彼女はしばしば、詩篇23篇4節「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから」を声に出して、主の慰めを得ました。「神はあなたにぴったりくっついておられるから、助けてと言うだけでいいのよ」と励ましてくれた祖母の言葉も、思い出していたでしょう。

具体的な状況は違っても、私たちは不安に押しつぶされそうなときがあります。そのような時は、神の力強いご臨在が常にあるという真理に励まされますように。

落ち着きなさい

ディズニー映画「ビアンカの大冒険」で、ケガをしたアホウドリのウィ ルバーに医者が「リラックスしましょう」と軽く言いました。すると嫌々やって来た気の立ったウィルバーは「リラックスしていますよ。…これ以上リラックスしたら死んでしまいます」と皮肉を言い、ますます興奮していきます。医者のうさんくさい治療法を見たウィルバーの不安はもっともですが、その光景は滑稽です。本当に危機なのか否かは別として、私たちがうろたえたときの姿を映しています。

恐れのない愛

私は長い間、自分を守るために「恐れ」を盾にし、それを言い訳に、何かに挑戦したり、夢を追いかけたり、神に従うことを避けていました。何かを失ったり、誰かに嫌われたりする恐れは、神や人と深い関係を築くことを妨げました。それは私を自信のない嫉妬深い妻、心配症で過保護な母親にしました。しかし、神に深く愛されていることを学び続けていくうちに、神とのかかわり方、人とのかかわり方が変わりました。神が面倒を見てくださると信じられると、安心して自分より他人の必要に配慮できるようになりました。

勇気を呼び起こす

ロンドンの英議会前広場にはチャーチル、ガンジーなどの像に交じり一体の女性の像が立っています。ミリセント・フォーセット、女性参政権のために戦った人です。仲間にささげた言葉「勇気は勇気を随所に呼び起す」と記した旗を持ち、不朽の名声をたたえられています。フォー セットは、勇気が勇気を呼び、臆病な人を動かすと主張しました。