誉れが消えうせた
娘のメリッサを取り戻すことはできません。学校で楽しそうにバレーボールをする姿を見ていた幸せな日々の記憶は薄れていきます。彼女のはにかんだ微笑みを思い浮かべることも、時には難しくなりました。メリッサが17歳でこの世を去ったとき、彼女の存在という私の喜びに幕が下ろされたのです。
嘆きを聞かれる神
昨年の夏、「タレクア」という名のシャチが出産しました。タレクアの群れは絶滅の危機に瀕しているので、この子は希望の星でした。ところが、1時間もせずに死んだのです。この悲しみを世界中が見守りました。タレクアは17日間も赤ん坊の亡骸を押して太平洋の冷たい水を泳ぎ回った後、ついにあきらめました。
悲嘆が喜びに
狼の生態に詳しい映画制作者のジム&ジェイミー・ダッチャー夫妻によると、狼は嬉しい時にはしっぽを振って跳ね回るそうです。しかし、群のメンバーが死ぬと数週間も悲しみます。仲間の最期の場所を訪れ、しっぽを下げ、哀悼の声をあげると言います。
砕かれ用いられる
私たちは毎週木曜日、交通事故で妻を亡くした男性と会いました。彼は答えのない問いを携えて来る時も、よみがえらせたい記憶を持って来る時もありました。しかし、彼はやがて、事故はこの世の欠けの結果だけれども、神はそのただ中で働かれると理解しました。数年後、男性は悲嘆のプロセスについて教会で講演しました。そして、喪失に苦しむ人たちが頼る存在となりました。時に、私たちは何もできないと感じながらも、足りない物をささげます。すると神は、有り余る結果を生み出してくださいます。
耐える信仰
アーネスト・シャクルトン(1874-1922年)は、1914年、南極大陸横断の探検隊を率いましたが、ウェッデル海の厚い氷に囲まれ船が難破します。船の名は「エンデュアランス号」つまり「忍耐」という意味ですが、まさに生還に向けた耐久レースが始まりました。助けを呼ぶ通信手段が無い中、彼らは救命ボートで最も近い陸地、エレファント島に渡りました。そして、シャクルトンと5人の隊員は仲間を残し、1,300キロ以上も離れたサウス・ジョージア島に救援を呼ぶために出発し、2週間後に到着しました。この探検の失敗は、勝利として歴史に残りました。その勇気と忍耐のおかげで全員が生還したからです。
互いにつながる
ルワンダ共和国では1994年、2ヶ月間に百万人ものツチ族の人々が、フツ族に虐殺されました。ジェフリー・ルブシシ主教は妻のメアリーに、最愛の人たちを殺された女性に手を差し伸べようと言いました。彼女は「私はただ泣きたい」と答えました。自分の家族も殺されたのです。彼の返答は、賢明なリーダーであり、思いやりある夫のそれでした。「メアリー、そうした女性を集めて、ともに泣きなさい。」辛いからこそ、彼女だけにできる痛みの共有があると知っていたのです。
最終決定
学生の頃、好きな人がいました。サラリンという名で、笑顔が素敵な人でした。しかし、気持ちを打ち明けることなく、それぞれの道に進み、やがて疎遠になりました。よくあることです。
今から始める
姉に癌が見つかった2017年2月の終わり、私は「今からは、姉のキャ ロラインと一緒にいる時間を少しでもたくさん作らなくては」と友人たちに話しました。すると、私は過剰に反応していると言う人たちがいましたが、姉は10カ月もしないうちに亡くなってしまいました。私たちは多くの時をともにしましたが、大切な人の場合、どれほどの時間を割いても十分ではありません。
何もかも失ったとき
半年でジェラルドの人生は激変しました。経済危機で事業と財産を失い、息子を事故で亡くしました。母はショックから心臓発作で死亡、妻はうつ病になり、ふたりの娘たちは深く傷つきました。「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか」(詩22:1)というみことばを繰り返すほか、何もできませんでした。