感謝の季節
リサは、秋の街は死を連想させるような暗くて陰惨な飾りが多くて嫌だと思いました。何とかしたくて、ささやかな抵抗を決行しました。手始めは、大きなかぼちゃに感謝している事柄を油性マジックで書くことです。一つ目は「おひさま」です。家を訪ねて来た人たちが、それにつづきました。「落書き」などと妙なことを書く人もあれば、「暖かい家」とか「故障していない車」など現実的な人、亡くなった家族の名前を書いて感傷的になる人もいました。かぼちゃの周りは温かい空気に包まれていました。
谷をともに歩む
英国の奴隷制度を廃止させたウィリアム・ウィルバーフォースの叔母ハンナは、死の床で知り合いの死について述べた手紙を残しています。「あの親愛なる方が、栄光の内に、彼の愛してきた見えないお方、イエスのご臨在の中に今いるとは、何と幸いなことでしょう。私の心は喜び踊っています」。そして、自身の状況については、「良くても、悪くても、どんなときでも、イエスは、いつも通り素晴らしい」と記しました。
受け入れる
老犬が私の隣に座って宙をじっと見ています。何を考えているのでしょう。でも、死についてではないはず。死を理解していないのですから。犬は将来について考えませんが、私たちは考えます。年齢、健康状態、貧富の差に関係なく、私たち人間は、人生のどこかの時点で、死について考えます。獣と違って、死の現実を悟ることができるからです(詩49:20)。また聖書は「人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身代金を神に払うことはできない」(詩49:7)とも述べています。死は避けられません。
また会える
暗く静かな部屋で、ベッドの脇に椅子を引き寄せました。ジャッキーは快活な人でした。彼女の生き生きとした笑顔を覚えています。けれど今は静かで動きません。3年間の闘病生活、そして今はホスピス病棟にいます。私は、何と声をかけるべきか分からず、聖書を取り出し、コリント人への手紙第一を読み始めました。
天に送る
ホスピスの看護師に父が危篤だと言われました。父は帰ることのない旅に出かけていくのです。彼を看取る時が来たと悟りました。父の最期の日、意識の有る無しは定かではありませんでしたが、姉妹で父のベッドのかたわらに座り、頭にキスをしました。そして、神の約束をささやき、「主のまことはくしきかな」を歌って、詩篇23篇を読みました。そして、愛と感謝を伝えました。父がイエスの元に行きたいと心から願っていると知っていたので、もう逝ってもいいよと言いました。そう発することが、惜別の痛みの始まりでした。数分後、父は永遠のすみかに喜んで迎えられました。
次に来るもの
キング牧師の演説は、1968年4月3日の夜が最後でした。彼は死を予見していたかのようです。「私たちの前途に困難な日々が待っています。でも、今となっては、私にはどうでもよいことです。なぜなら、私は山の頂上に行ったからです。そして見渡しました。約束の地を見たのです。私はみなさんと一緒に行けないかもしれません。…しかし、今夜、私は幸せです。何も心配していません。誰をも恐れてはいません。私の目は、再臨の主の栄光を見ました。」翌日、キング師は暗殺されました。
尊い旅立ち
彫刻家リズ・シェパードの2018年の作品「待つ」について、「人生の尊く超越的なものを喚起させる」と、ボストングローブ紙が評しています。死にゆく父の枕元で過ごした時にインスピレーションを得たという作品は、切なさ、喪失の虚しさ、愛する人に手が届かないというはかなさを伝えようとしています。
最終決定
学生の頃、好きな人がいました。サラリンという名で、笑顔が素敵な人でした。しかし、気持ちを打ち明けることなく、それぞれの道に進み、やがて疎遠になりました。よくあることです。
愛と平安
深い悲しみの中にいても、言葉では説明できない平安で心が満たされることに驚かされます(ピリ4:7)。それを父の葬儀で体験しました。弔問客が長い列を作り挨拶して通り過ぎる中、高校時代の友人の顔が見え、ホッとしました。彼は黙ってハグをしてくれました。辛く悲しい一日の中で、心が平安で満たされていくのを感じ、決してひとりではないと元気づけられました。