恵みを数えて
私たち夫婦は真剣に離婚を考えたことがありました。しかし、人生を完全にキリストに明け渡すとふたりで決め、やり直そうと誓いました。私たちは賢明な助言を求め、各々が聖霊によって変えられ、夫婦としても作り変えられるよう求めました。神は、健全なコミュニケーションを取る力をつけてくださいました。何が起ころうとも、神を愛し信頼することを教えてくださり、夫婦が愛し信頼し合うことについても学ばせてくださいました。
いつまで待つのか
結婚当初、すぐ子どもが授かると思っていましたが実現せず、不妊の悩みは、私を祈りに駆り立て、「いつまで待つのですか」と神に叫びました。神にはこの状況を変える力があるのに、なぜそうされなかったのでしょう。
翼を広げて舞いかける
ベティーの娘は体調を崩して海外から帰国しました。ペティ―と夫は、あまりに辛そうな娘を見て、救急診療所に連れて行きました。治療が始まって数時間後、看護師のひとりが「大丈夫ですよ。元気になるまで私たちがついています。最善を尽くしますから。」と言ってくれました。ベティーは、心が平安と愛に包まれるのを感じました。彼女は娘の前でおろそろするだけでしたが、主は完全な親なので、ご自分の子どもたちの面倒を見て、苦しい時には慰めてくださることに気づきました。
喜びと苦しみ
幼い息子が初めてレモンをかじったとき、鼻にしわを寄せて目をつぶり、舌を出すと「すっぱ〜い!」と叫びました。私は笑いながらレモンを捨ててあげようと手を伸ばしました。しかし、彼は「だめ!」と言って逃げ出し、顔をしかめながら全部食べると、皮だけを私に渡して去っていきました。私の顔も酸っぱさにゆがみました。
神にささげる
私がまだ10代で大きな困難やハイリスクな決断を迫られて混乱していたとき、物事を書き出して整理して考えることを教えてくれたのは母でした。どの授業を取るべきか、どんな職業に就くべきか、大人の現実の怖さにどう立ち向かうのか…。母はどうすべきか迷うと、分かっている事実、自分に出来る行動、予想し得る結果を書き出していました。私もそれに倣って、思いの丈をノートに書き綴ると、問題から一歩離れて、感情に流されず客観的に物事を見られるようになりました。
ひとりで走らないで
夫のジャックは初マラソンをひとりで走り、42キロ地点で力尽きてしまいました。給水場で水を飲んだ後にコース横に座り込むと、数分経っても立ち上がれません。もう棄権しようと思ったとき、ケンタッキー州から参加した中年の教師の二人組がやって来ました。まったく知らない人たちでしたが、一緒に走ろうと声をかけてくれました。すると突然、力がよみがえってきました。ジャックは立ち上がり、ふたりの女性ランナーに付き添われてレースを完走しました。
もし・・・だったなら
夫は駐車場の出口で止まり、自転車の若い女性に道を譲りました。彼女はにっこり手を上げ前進したのですが、路肩に止まっていたSUV車のドアが勢いよく開いたので、衝突して地面にたたきつけられました。自転車は折れ曲がり、彼女も怪我をして泣き出しました。
生涯にわたる訓練
マラソンのトレーニングがうまくいきません。直近のレース結果は惨憺たるもので、半分近くを歩いたばかりか、座り込んでしまうことすらありました。私は入試に落ちた学生のようにがっかりしました。しかし気を取り直して、トレーニングの趣旨を思い出しました。これは合格したり成績を上げたりするための訓練ではありません。むしろ、何度も挑戦して持久力をつけるための訓練なのです。
ライフセーバー
私はライフセーバーとして、事故の兆候は無いかと水の上を監視していました。担当の6時間、水泳をしている人たちの安全を確保するために、プールサイドからずっと見張っています。その場を離れたり、注意を怠ったりすると、重大な事故を招くかもしれません。泳いでいる人が、何かの理由で溺れかけたら、水から引き上げてプールサイドで休ませることが私の仕事なのです。