鉄による研磨
プロジェクト・マネージャーのルイーズは、副業で引き受けた仕事にうんざりしていました。クライアントもデザイナーもマイペースすぎます。どうしてこうなるの、と忍耐が試されているようでした。しかし、数週間が経ったころ、箴言27章を読んでいて17節に目が留まりました。「鉄は鉄をもって研磨する」
祈りの姿勢
ジミーは長年の持病のために痛みがひどくなっていました。毎朝、聖書を読んで黙想し、祈りをささげる習慣を続けたいと願っていましたが、右を向いても左を向いても、どんな姿勢で座っても、体がひどく痛みます。ついにやけを起こして椅子を降り、膝を折ってしゃがみ込みました。すると、このひざまずく姿勢が、ひどい痛みを和らげてくれたのです。その後、ジミーは毎朝、ひざまずいて神と時間を共にしました。祈りをささげている時は、心地良いとさえ思いました。
共感の痛み
薬指を痛め、治るまで何カ月も痛むと思っていました。指示されたリハビリを実践しているうちに、小指がズキズキ痛み出しました。主治医に話すと、それは「共感の痛み」だと説明されました。薬指と小指の神経は、一つの神経から枝分かれしていて互いに依存しており、一方の指が痛むと、もう一方の指も同調するというのです。
見放すことはない
イエスの歩いた地を巡る聖地旅行は素晴らしいものでした。イエスが見たもの、聞いた音などを想像しやすくなりましたが、でこぼこした道を上ったり下りたりしながら観光したので膝が痛くなりました。とはいえ、何世紀も前の旅人に比べれば、私の苦痛などささいな事です。彼らは、足が痛いどころか、命さえ脅かす苦しみに遭いました。しかし、神はどんな時も彼らのそばにおられました。
信頼できる避けどころ
娘の最も鮮明な幼少時代の思い出は、父親が補助輪なしで自転車に乗ることを教えてくれた日のことだといいます。夫は娘の後輪のハブに足を乗せてバランスを取り、娘はペダルに足を乗せたまま二人一緒にハンドルを握り、緩やかな短い下り坂を滑るように走りました。娘は、自分の感じていた恐怖とは対照的に、父親がうれしそうに笑っていたことを覚えています。あっという間の走行だったので、当時、夫は娘の不安に寄り添えませんでした。今日、二人でその時のことを話していましたが、絶対に大丈夫だと分かっていたという父親の言葉に、娘は納得したようでした。
神に向かって嘆く
ニューヨーク市の9/11メモリアル・ミュージアムのオープニング展示に足を踏み入れました。入ってすぐの展示は、感情を乱さずに興味深く閲覧することができました。しかし、子どもや衝撃的な画像を見たくない人への配慮のために仕切られた内部へ進むと、次から次へと喪失の物語が続き、悲しみの波が心に押し寄せました。
イエスを恥じない
あるアフリカ人がイエスを信じた故に殺されました。名前は分かっていませんが、殉教前に手記を残しました。20世紀前半に書かれ、今では「恥じない者たちの交わり」と呼ばれています。
追い求める神
スコットランド、ブローラ村の海に面した断崖絶壁に、1頭の羊が取り残され、2年もの月日が経ちました。何度か救出が試みられましたが、捕獲に失敗しました。しかしある日、農夫のキャミー・ウィルソンと4人の友達が、危険な救助作戦を敢行しました。3人が約250メートルの崖を慎重に下って羊を捕まえ、その後、巻き上げ機で引き上げたのです。
神の約束にすがる
昼休み、皆の机の上に部長からチョコレートが配られていたのに、ウエンディの机にはありません。彼女は親しい同僚に「なぜ?」と言いました。上司はこう明かしました。「あのチョコレートはまだ十分おいしいけれど、ちょっと古かったからね。妊娠中のウエンディに万が一のことがあってはいけないから」。そして笑いながら「他の皆はねぇ……」と言いました。