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新たなスタート

詩篇120篇は、最初の「都上りの歌」(詩120-134篇)です。巡礼者はエルサレムに向かう道で、それを賛美しました。ユージン・ピーターソンはこの詩篇を省察して、「当然と考えていたことが実はうそだった、という苦々しい気付きから、キリスト者の意識は始まる」と述べました。彼の著書『A Long Obedience in the Same Direction』(同じ方向に向けて長い間従順に従う)が語っているように、「都上りの歌」は、私たちの霊が神に向かって進む旅路を示しています。

圧倒的な勝利者

夫が少年野球の監督をしていた時のことです。打ち上げパーティーをすると、最年少のダスティンが「今日は負けたんじゃないの?」と言いました。「ええ。でも、みんながベストを尽くしたことが誇らしいの」「でも負けたよね」私はうなずきました。「なのになぜ、勝ったように感じるの?」私は「それはね、あなたが勝利者だから」と笑顔で答えました。

救出作戦

オーストラリアの家畜救出団体の人が迷子の羊を見つけました。汚れて絡み合った毛は34㎏以上もあり、少なくとも5年間は森に放置されていたようでした。その人は、羊をなだめながら重い毛を刈ってあげました。羊は身軽になると餌を食べました。そして、保護区で職員に守られ、他の動物たちと過ごすうちに、しっかりとし、落ち着いてもきました。

喜びを選ぶ

キースは重い足取りでスーパーの売り場を歩いていました。パーキンソン病の初期症状で両手が震えます。生活の質がもうすぐ低下し始めるのでしょうか。家族はどうなるのでしょう。その時、笑い声がして、思考が途切れました。声の主は、ジャガイモ売り場のそばの車椅子の少年です。父親らしき男性が車椅子を押していて、後ろから身を寄せて、何かをささやいていましたが、少年は笑い続けます。状態はキースよりかなり悪そうでしたが、2人は、何かに喜びを見つけているようでした。

知ることが苦痛

グランドキャニオンで25日間のラフティングの旅を終えたザック・エルダーと仲間たちは、ゴムボートを回収しに来た人から、恐ろしい新種のウィルスについて聞かされました。パンデミックの前に旅に出ていたので、最初は冗談だと思いましたが、峡谷を出て電波が入ると、携帯電話に親たちから緊急メールが次々に届きました。彼らはぼう然とし、川に戻って現実逃避をしたいと思いました。

試練の中の恵み

詩人アニー・ジョンソン・フリント(1866-1932年)は、若くして重度のリユーマチを患い、自力では歩けず介護が必要でしたが、彼女の作品に感動した客がたびたび訪ねてきました。ある失意の女性は、面会の後、神はなぜアニーにそんな試練を与えられたのかしらと手紙を書きました。アニーは「空がいつも青く澄んで、わたしたちの行く道にはずっと花が咲き乱れているとか、……そうではなく神さまの約束は……」と、詩を書いて返信しました。彼女は苦難の中にいましたが、神が御民を決して見放さないと知っていました。その詩は、試練の中の恵み、上からの助け、尽きぬあわれみ、不朽の愛が約束されていると続きます。

災害によって立ち返る

北ヨーロッパは、1717年、大洪水に見舞われました。オランダ、ドイツ、デンマークで1万4000人が亡くなりました。オランダのフローニンゲン州の歴史資料には、興味深い、しかし、当時としては当然の対応が記されています。当局は「祈りの日」を呼びかけ、市民は教会に集い、説教を聞き、詩篇を歌い、何時間も祈ったと記録されています。

希望の虹

旅行に出かけたのに最初の数日間は持病の痛みのために部屋にいました。気分は冬空のようにどんよりしています。近くの灯台を見物しようと夫婦でやっと外出できたときも、目に映ったのは灰色の景色でした。それでも私は、曇り空と影のある山々の写真を何枚か撮りました。その夜、土砂降りでどこにも行けないことに落胆しながら、撮った写真に目を通していると、何と「虹」が写っています。私は己の憂鬱(うつ)さばかりに気を取られ、疲れた心を癒やそうとされる神の希望の御業を見逃していたのです(創9:13-16)。

刻まれた悲しみ

珍しいタイプの完治できない脳腫瘍と診断された後、キャロラインは、新たな生きがいを見つけました。難病の子どもとその家族の写真を撮る奉仕です。絶望の淵の悲しみだけでなく、奇跡のような美しい瞬間が記録され、子どもたちの家族は、共に過ごした大切な時間を心に刻めます。キャロラインは、極限の困難にあっても、いやむしろそれだからこそ、これらの家族は愛を選択していると気付きました。悲惨な現実と、美と希望。悲しみの真実には驚くべき力があります。