コアデ石
ロンドンには「コアデ石」と呼ばれる独特な資材で造られた建造物がたくさんあります。これは1700年代の後半、エレノア・コアデが家族で営んでいた工房で開発された人工石で、朽ちることがないといっても過言ではありません。それは、経年、悪天候、大気や水質の汚染にも耐えることができます。コアデ石は産業革命期に一世を風靡しましたが、エレノアの死後、1840年代には徐々に衰退し、ポルトランドセメントが主な建築資材になりました。しかしながら、この丈夫な人工セラミックによって築かれた建造物は、大都市ロンドンの厳しい環境を耐え抜いて、150年以上たった今も、およそ十数例を残しています。
危険な挑戦
何百万の人たちがテレビ中継を見つめる中で、ニック・ワレンダは直径わずか12センチのワイヤー上を約550メートルも歩いてナイアガラの滝を横断しました。彼は出来る限りの準備をしました。しかし、滝の高さと激流の他にも、視界をさえぎる霧、バランスをおびやかす強風、足元を滑りやすくする水しぶきという悪条件が、彼を大きな危険にさらします。これらの真っただ中で、(そして恐らく、これらの危険があったからこそ)、彼は何度も祈り、神を賛美したそうです。
神の計画
神を愛する友人のリンダは、医療伝道を志していました。医者として主に仕え、医療体制が整っていない地域に出て行って、病気の人たちに福音を届けたいと願っていました。しかし、神には別のご計画がありました。リンダは確かに、病人に福音を伝える伝道師になりましたが、その形は、彼女が考えていたものではなかったのです。
私の味方
小柄な体操選手のギャビー・ダグラスは、ロンドン・オリンピックでふたつの金メダルを獲得したときの記者会見で、「神は私を決して見捨てず、いつも私の味方です」と言いました。
順送り
長い間、人を見てきて気づいたことは、苦しみを体験した人たちは、苦しんでいる人たちにすぐに手を差し伸べるということです。子どもを亡くして苦しんでいた若い夫婦に手を差し伸べたのは、自分たちも子どもを亡くしたことのある夫婦でした。収入の当てを失った夫婦に即座に手を差し伸べたのは、過去に家や家財を差し押さえられ処分されてしまった夫婦でした。私は、互いに支え、互いに励まし合うキリストのからだを何度も目にしてきました。このクリスチャンたちは学びました。自分の辛い体験を用いて、同じような困難の中にいる人たちに手を差し伸べることができるのだと。
辛い鍛錬
ダイヤモンドは美しく価値のある宝石ですが、もとは黒くて汚い可燃性の炭素です。それが高熱と高圧に長い間さらされて、強く純粋な石になります。このことは、霊的に強くなることを説明する良い例です。神は強い外からの力を用いて、私たちの心の不純な部分を取り除き、神の力が私たちの内に完全に現れるようにされます。
険しい道
ジョン・パイパーは、著書「神の摂理は甘くて苦い」の中で次のように述べています。「人生は、ひとつの祝福から次の祝福へと続き、最終的に天国に至る、という一直線の道ではない。人生は曲がりくねった困難な道だ…困ったことが起こると神が現れて、尻拭いをしてくださる、ということではない。神は策を練って困った問題を管理し、神の遠大な目的のために、それを用いられる。神の目的は、私たちの徳を高め、イエス・キリストの栄光を表すことだ。」
永遠についての視力
先月、目の検診で、遠くがよく見えるようになったと言われました。それは良かったと思ったのですが、友人には「加齢すると遠くが見えやすくなるけれど、近くが見え辛くなるのよね」と言われてしまいました。
人生最悪の日に
竜巻がミズーリ州のジョプリンという町を襲いました。2011年5月のことです。ある若い女性は浴槽に逃げ込み、夫が上に覆いかぶさりました。こうして彼女は飛び交う瓦礫から守られ、夫は亡くなりました。彼女が「なぜ」と問うのは当然です。けれども、竜巻から1年が経った頃、彼女の心は少しずつ癒されていました。人生最悪の日にも自分は愛されていたと気づいたからです。