信仰が試される
ローマ皇帝マクシミアヌスは、紀元304年、小アジアのニコメディア(現在のイズミット)に凱旋(がいせん)し、異教の神々に勝利を感謝する戦勝パレードに市民が招集されました。しかしキリスト者は例外でした。マクシミアヌスは教会に来て、信仰を捨てて罰を免れよと迫りましたが、会堂いっぱいの人々は、彼の最後通告を拒否しました。皇帝は彼らを閉じ込めて教会堂に火をつけ、全ての信者を殺害しました。
新しい命
バヒ-ルとメデットは中央アジアの国で共に育ち、親友でした。しかし、バヒ-ルがキリスト者となると全てが変わりました。メデットは、当局に通報し、バヒールは激しい拷問を受けました。兵士は「お前の口がイエスの名を語ることは二度とない」と怒鳴りました。血まみれのバヒールは「そうかもしれない。だけど、キリストが私の心になされたことは変えられない」と絞り出すように言いました。
祝う価値がある
メソジスト教会の英語の聖歌集の巻頭を2世紀以上飾っていたのは、チャールズ・ウェスレー作詞の「主イエスのみいつとみめぐみとを」です。原題は「救われた日を記念して」です。イエスを信じる信仰に目覚めて己が根こそぎ変えられたことを記念し、悔い改めてキリストに従う人が賜る神の恵みの栄光を歌っています。
見捨てられた人の信仰
トンガの10代の生徒たちが、1965年6月、島から脱出しようと海に出ました。しかし、初日の夜に嵐に遭い、船のマストもかじも折れました。水も食料も無く漂流し、無人のアタ島に漂着しました。
たましいの自由
彼らにパイロットの資格はありません。大学も卒業していません。ライト兄弟は空を飛ぶ夢と勇気を持った自転車の修理工でした。1903年12月17日、彼らのライト・フライヤー号は4回の飛行に成功。最長飛行時間はたった1分でしたが、世界を変えました。
敵に燃える炭火を積む
ダンは看守に虐待されていましたが、この人を愛しなさいとイエスが命じておられると感じたので、ある朝、殴られる前に、こう言いました。「この先、一生、毎日、会うのなら、友人になりたいです」。看守はごめん被ると言いましたが、彼は「ぜひ!」と、友愛の手を伸ばしました。すると看守は固まり、震え出し、ダンの手をぎゅっと掴みました。彼の頬を涙がつたい、「ダン、私はロゾックだ。友だちになりたい」と言いました。その日を境にロゾックが手を上げることはありませんでした。
メール、トラブル、勝利
世情不安や治安の悪さ、不衛生も何のそのと、ジミーは世界の最貧国で働く宣教師夫婦のもとに出かけました。悪戦苦闘は地元の仲間に届くショートメールから分かります。「みんな、祈って! この2時間で10キロしか進んでいない……車は10回以上もオーバーヒートした」。車のトラブルで、聖書の話を待っていた人たちのもとに到着したのは日付の変わる直前でした。彼らは5時間も待っていたのです。次は興奮したメッセージが届きました。「驚くほど素晴らしい交わりだったよ。……祈ってもらうために12人ほどの人が前に出てきた。すごく力をもらった!」
イエスのために戦う勇気
西暦155年、棄教しなければ火刑だと脅されたポリュカルポスは言いました。「私は86年間、主のしもべだが、主に冷遇されたことはない。それなのに、なぜ今、私を救われた王を冒瀆(ぼうとく)することができようか」。私たちも迫害されたなら、この言葉に奮い立つでしょう。
普通の人々の集団
著名な哲学者のハンナ・アーレント(1906-1975年)は、「人間というものは、強大な権力を持つ君主に抵抗し、ひれ伏すことを拒める、と分かっている……一方、大衆に抵抗できる人は実のところほとんどいないと分かった。間違った方向に導かれている普通の人々の集団を前に、独りで立ち上がり、彼らの無慈悲な熱狂に対峙できる人はいない」と書きました。ユダヤ人のアーレントは、母国ドイツでこれを体験しました。