痛みによる祝福
その人は猫背でつえをついていました。しかし、長く続いた牧会は、彼が神の力に頼った証しでした。牧師のウィリアム・バーバー2世は、1993年、背骨の椎骨同士が癒合する衰弱性の病気と診断されました。医者は「別の仕事を考えた方がよいのではありませんか。教会は、身障者の牧師を望まないでしょう」とあからさまに言いました。しかし、バーバー師は、そんな侮辱に負けません。神は彼を牧師として用い続けられただけでなく、社会的弱者の力強い代弁者とされました。彼の声は敬意をもって受け取られたのです。
祝う価値がある
メソジスト教会の英語の聖歌集の巻頭を2世紀以上飾っていたのは、チャールズ・ウェスレー作詞の「主イエスのみいつとみめぐみとを」です。原題は「救われた日を記念して」です。イエスを信じる信仰に目覚めて己が根こそぎ変えられたことを記念し、悔い改めてキリストに従う人が賜る神の恵みの栄光を歌っています。
私の心を探ってください
食品廃棄物を減らすために、シンガポールのあるスーパーマーケットチェーンでは、少々傷物の果物や野菜を値引きして売っています。この取り組みで、1年間で約780トン近くの農作物が廃棄を免れました。消費者はすぐに、形がいびつでも、外側に少し傷があっても、味や栄養価に問題はないと学びました。外面が内面を表すとは限りません。
チョコレートの中に沈む
米国ペンシルベニア州のマースのお菓子工場で、2人の作業員が、巨大なチョコレートタンクの中に落ちました。チョコレート好きがうらやむ笑い話のようですが、彼らは腰までチョコレートに浸かり、自力で動くことができませんでした。ついに救急隊員が出動し、タンクの側面に穴を開けて、彼らを救出しました。
キリスト者の武具
その若者はベイリー牧師に虐待と依存症の話を打ち明けました。彼はキリスト者でしたが、幼い頃から性虐待を受け、ポルノにさらされていたので、自分では解決できない大きな問題を抱えていました。ですから、必死で助けを求めたのです。
神を畏れる
恐怖症とは、特定の物事や状況に対して不合理な恐怖を感じることと定義されます。例えば、クモ恐怖症。風船恐怖症やチョコレート恐怖症というものもあります。世の中には400以上の恐怖症があるそうです。つまり、どんなものも恐怖の対象になり得るのです。
新しくて確かなもの
友人のスーザンは3年間、生活必需品以外は自分のために何も買いませんでした。新型コロナウィルスの大流行のために収入が激減し、質素な暮らしを余儀なくされたのです。ある日、部屋を掃除していると、何とみすぼらしく、色あせた物ばかりかしらと思ったそうです。彼女は言います。「その時、新しいものを手にしたときのワクワク感が欲しい、と思ったの。くたびれて生気がないものに囲まれて、この先、楽しみは何もないかのように感じたのよね」
癒やされる希望
脊椎損傷で半身不随の人に新たな希望が生まれました。ドイツの研究者たちが、神経の成長を刺激して筋肉と脳をつなぐ神経経路を再生する方法を発見したのです。この方法で身体がまひしたマウスを歩かせることができました。この治療法が人間にも安全で有効かどうかを検証する研究は、今後も続けられていきます。
人生の葛藤と深い信仰
土曜の朝のバイブルスタディーに、ある困惑した男性が集っていました。家出娘が戻ってきたのに、彼女の振る舞いのせいで家族の関係がぎくしゃくしていました。別の出席者は、加齢と長患いで不調続きでした。いろいろな病院を訪ね、さまざまな医者に見てもらったのですが、快方に向かうことはなく、落胆していました。その日の聖書箇所は、神の摂理によって、マルコの福音書5章でした。学びが終わると、そこには希望と喜びがありました。