Category  |  試練

神の愛は尽きない

高齢で病気の父親を在宅介護することになり、ジョシーの生活は激変しました。また父の薬は高額でした。フルタイムで働きながらの介護、病状の悪化に伴う数々の決断に、彼女は疲弊していきました。「どうすれば体力と知恵、周りの支援、そして父に対する愛を絞り出せるのだろう」と思いました。

キリストを着る

ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションでファッション心理学を教えているローズ・ターナー氏の研究は、服装が人の思考や行動、そして感情に与える影響についてです。衣服は身体に触れる「第二の皮膚」であり、その時々の自分の役割や状況に適切に対応できるように手助けをしてくれると言います。たとえば、ユニフォームを着ると仕事モードになり集中力が高まります。また、思い出の詰まった古い服は、緊張を強いられるときに、平常心を保つ力を与えてくれます。

キリスト者の生と死

銃殺刑が執行されます。「構え!」の号令で兵士たちは彼に銃口を向けました。ドストエフスキーは死を覚悟しました。彼の大作『カラマーゾフの兄弟』のテーマは、神、そして生と死です。ドストエフスキーはイエスのことをうっとりして語るようなキリスト者だったといいます。

麗しい思い出

忠犬ハチ公の物話は有名です。大正時代、ハチ公は、毎日午後3時の汽車で帰宅する主人を駅の前で待っていました。ある日、主人の上野英三郎教授は職場の東京帝国大学で講義中に脳卒中を起こして亡くなります。彼が帰らなかった日、ハチ公はしばらくその場を離れず、翌日も、翌々日も、その後10年にわたり、毎日午後3時にその場にいました。ハチ公の忠誠は多くの日本人の心を打ちました。

イエスにぴったりの人

エリックは子どもの頃、発疹やいじめや学習困難に苦しみ、少年期に薬物やアルコールを始めました。自称「悪の親玉」は、野球の才能がありましたが、差別によってやる気を失い、ますます薬物に溺れ、売買にも手を出しました。

弱さが生み出す美

画家のドガは網膜の病気を患い、視力が低下すると、油彩画よりもはっきり見えるパステル画を描きました。ルノワールは、関節リウマチで指が湾曲し硬直すると、その間に筆を固定して描き続けました。マティスは、手術して動けなくなると、壁に大きな紙を広げさせ、切った色紙を指示どおり貼らせ、「切り紙絵」を作りました。どの場合も、画法の創造性を躍進させました。ドガの『青い踊り子たち』、ルノワールの『ピアノに寄る少女たち』、マティスの『王の悲しみ』などの傑作は、彼らが試練に適応する中で生まれました。

神のもの

母を介護していた時のことです。二人とも心身共に疲れきっていて、気分転換に美術展に行きました。『生け花と浮かぶ舟』と題された作品が、黒い壁を背に光の反射する床に置かれていました。2隻の木製の手こぎ舟の中に、釣りのルアーと生け花から着想を得た色とりどりの吹きガラスが詰められていました。ふ入りや斑点やしま模様の巨大な球体は、小さい方の舟に積まれていて、もう1隻の舟からは、長く曲がりくねったガラスの彫刻が、生きた炎のように立ち登っていました。作者はガラスを火で精錬し、息を吹き入れて各々を作りました。

心配事を主に委ねる

ナンシーは悪いことばかり想像して不安でした。夫のトムがハイキングの最中、3度も失神したのです。現地の小さな病院で異常なしと診断され、都会の大きな医療センターで追加の検査をしましたが、異常は発見されませんでした。彼女は非常に不安だったと語ります。医療センターの専門医に最後の質問をしました。「これからどうしたらよいでしょう?」その時の医者の答えが、彼女の視座を完全に変えました。「自分の人生をしっかり生きてください」。それは、気休めではなく知恵の言葉でした。

安息

フランクリン・ルーズベルト大統領が、1943年、「シャングリラ(理想郷)」と命名したメリーランド州の保養地は、アイゼンハワー大統領によって「キャンプ・デービッド」と改名されました。大統領が、静養したり、仕事をしたり、外国の賓客をもてなしたりするのに理想的な場所だそうです。セキュリティを強化する目的以外の近代化はされず、大統領とその家族が、世の喧噪から離れて休息することができるといいます。