苦しみの中の強さ
地下教会の牧師ハーラン・ポポフは、1948年、自宅から連行されました。休息無しで尋問され、10日間、食事ももらえません。スパイ容疑を否定するたびに殴られました。しかし、苛酷な取り調べを生き抜いただけでなく、彼は周りの囚人たちをイエスに導きました。11年後、ついに釈放され、2年後に亡命して家族と再会するまで母国で伝道しつづけ、その後は、聖書のメッセージの取り次ぎと、キリスト信仰に不寛容な国々で聖書を配布する活動を支える資金集めに奔走しました。
次に来るもの
キング牧師の演説は、1968年4月3日の夜が最後でした。彼は死を予見していたかのようです。「私たちの前途に困難な日々が待っています。でも、今となっては、私にはどうでもよいことです。なぜなら、私は山の頂上に行ったからです。そして見渡しました。約束の地を見たのです。私はみなさんと一緒に行けないかもしれません。…しかし、今夜、私は幸せです。何も心配していません。誰をも恐れてはいません。私の目は、再臨の主の栄光を見ました。」翌日、キング師は暗殺されました。
きこりの教訓
大学時代、薪を割り、束ね、販売して配達するというアルバイトを一年しました。きつい仕事でしたので、列王記第二6章に登場する不運なきこりに同情します。
尊い旅立ち
彫刻家リズ・シェパードの2018年の作品「待つ」について、「人生の尊く超越的なものを喚起させる」と、ボストングローブ紙が評しています。死にゆく父の枕元で過ごした時にインスピレーションを得たという作品は、切なさ、喪失の虚しさ、愛する人に手が届かないというはかなさを伝えようとしています。
死刑囚の喜び
アンソニー・レイ・ヒントンは1985年、ふたつの殺人事件で、冤罪によって死刑判決を受けました。レイは、偽証した人たちを赦すこと、また、彼の喜びは不正では奪われないことを裁判で証言しました。そして「私は、死後、天国に行きます。あなたたちはどこに行きますか」と問いました。
命にまさるもの
メアリーはイエスを愛していましたが、人生は苦しく、じつに厳しいものでした。ふたりの息子に先立たれ、ふたりの孫も銃の犠牲となって亡くなりました。彼女自身は脳梗塞で身体の片側が不自由です。しかし、教会に行けるようになるとすぐ礼拝に集い、障害の残るたどたどしい口調で「私のたましいはイエスを愛します。その名をあがめます」と主を賛美しました。
モグラ叩き
緊急手術をして病気が治ったと思ったら、次々と請求書が届きました。執刀医、麻酔医、臨床検査、入院施設費…。「保険が下りても数十万円の借金です。これを払い終わるまでは安心して人生を楽しめません。ゲームセンターのモグラ叩きみたい。次から次へと出てくるのですから」と、米国在住のジェイソンは不平を言いました。
砕かれ用いられる
私たちは毎週木曜日、交通事故で妻を亡くした男性と会いました。彼は答えのない問いを携えて来る時も、よみがえらせたい記憶を持って来る時もありました。しかし、彼はやがて、事故はこの世の欠けの結果だけれども、神はそのただ中で働かれると理解しました。数年後、男性は悲嘆のプロセスについて教会で講演しました。そして、喪失に苦しむ人たちが頼る存在となりました。時に、私たちは何もできないと感じながらも、足りない物をささげます。すると神は、有り余る結果を生み出してくださいます。
耐える信仰
アーネスト・シャクルトン(1874-1922年)は、1914年、南極大陸横断の探検隊を率いましたが、ウェッデル海の厚い氷に囲まれ船が難破します。船の名は「エンデュアランス号」つまり「忍耐」という意味ですが、まさに生還に向けた耐久レースが始まりました。助けを呼ぶ通信手段が無い中、彼らは救命ボートで最も近い陸地、エレファント島に渡りました。そして、シャクルトンと5人の隊員は仲間を残し、1,300キロ以上も離れたサウス・ジョージア島に救援を呼ぶために出発し、2週間後に到着しました。この探検の失敗は、勝利として歴史に残りました。その勇気と忍耐のおかげで全員が生還したからです。