私の中のキリスト
ルネサンス時代の画家アルブレヒト・デューラーは、若き天才で、ラファエロなどの高名な芸術家でさえ、彼の芸術に畏敬の念を抱いていました。
一人でも立つ勇気
ジーンの会社の社長は、辛辣(しんらつ)な言葉で従業員を萎縮させていました。ジーンも含め、皆が空気を読んで、反論しません。そんなある日、新入社員が激しく非難され、泣かされました。ジーンは、居合わせた皆が沈黙する中、口を開きました。
うそは疫病
米国の詩人ダニエル・ラディンスキー は、ある詩の中で、信頼に培われた人間関係とうそで傷ついた関係を対比して、「不誠実とは、なんと残酷な行為だろう」とつづりました。ドイツの神学者で修道士のエックハルトの教えに着想を得て、 真実で愛に満ちた言葉は「日々に混ぜこまれる素晴らしいスパイス」、うそは、「大惨事を心に起こす。その心はかつて愛した人を信じられなくなる……真実を語れない人によって、疫病が広がる」と述べています。
神の家族
クラレンスに息子について尋ねると、彼は、元気な4歳児の成長を誇らしげに話してくれました。そのエピソードの一つに驚きました。彼は息子に自分と同じ名前をつけているのですが、名前ばかりか、顔までが瓜二つだといいます。顔認証で父親のスマートフォンを解除できるほどに。
神に誉れを帰する言葉
友人のアレックスは、怒りの返信を覚悟していました。彼は編集者で、ここ数カ月、ビジネス界の著名な人物の原稿を担当していました。しかし、その出版は、会社の事情で白紙となり、そのことを先方にメールしたのです。
イエスにとどまる
喜びは記憶されてこそ完全に成熟する。これは、C.S.ルイスの『沈黙の惑星を離れて』の登場人物の言葉です。それは、追憶の喜びを語っています。ハイキングで絶景を見て感動したり、大切な人と記念日を祝ったりする喜びは本物です。しかし、それは喜びの始まりといってよいでしょう。その瞬間(またはそれに類する瞬間)を、後で振り返った時、その時の喜びが増幅されるのです。
蜜よりも甘い
ジャレットに蜜蜂について尋ねるとうれしそうにします。私たちは、この養蜂家宅によく集います。会合は養蜂と無関係ですが、養蜂に関わる教訓が、会話を盛り上げることは珍しくありません。彼の働き蜂が生み出した黄金色の新鮮で自然な甘味の蜂蜜は、まさに絶品なのです。
私の隣人とは
高齢の女性が、熱い日に道で転倒し意識を失いました。数人が立ち止まり、119番に電話をしたり、自分の服を彼女の枕にしたり、脇の下を冷やしたり、日傘をさしてあげたりして、救急車の到着を待ちました。動画を投稿した人は、年齢や性別、人種を超えて、人々が救助のために協力していて、心温まる光景だったと書きました。
歩いて祈る
デボーション・エッセイを半分書いたところで、考えがまとまらなくなり行き詰まりました。そこで「神よ、どうすべきでしょう」と祈りました。歩くと創造性が平均60%高まるというリサーチ結果があることを思い出し、私は、散歩に出かけて、神との対話を続けました。30分ほど歩くと頭がスッキリしました。そしてパソコンの前に戻り、エッセイの後半を書きました。