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認知の境界線

新型コロナウイルスの影響で、夫が一時解雇になりました。神が生活を守ってくれると信じていましたが、具体的なことは分からず不安でした。心を静めようと、大好きな詩を読みました。それは、16世紀の宗教改革者、十字架のヨハネの「我、入るも、何処か分からず」と題された詩で、自己を明け渡す旅の中で見いだす不思議を歌っています。認知の境界線を超えると、神をあらゆる形で認識すると語ります。

良い知らせの喜び

アラスカ地震は1964年のある夕刻に発生しました。マグニチュード9.2、4分以上の揺れに、アンカレッジ市街は巨大な穴と瓦礫の山と化しました。レポーターのジェニー・チャンスは、恐怖と暗やみの中で一晩中、ラジオニュースを伝えました。森林作業員は妻の生存を知り、キャンプ中のボーイスカウトの少年たちの無事が知らされました。行方不明の我が子の発見を聞いた夫婦もいました。ラジオは廃墟の中で良い知らせを伝えました。

自分の快適さではなく

ダンは交通事故が原因で下半身不随になりました。癒やしを祈ってもかなわず、神は、次のように優しく教えておられるようだと感じました。「地上の人生の目的はキリストの似姿になること。全てが順調ならば、そうはならないでしょう。厳しい状況で、神を頼りに何とか一日を終えるような日々でこそ、それが可能になるのです」

人生の嵐に立ち向かう

その夜、テネシー州メンフィスは雷鳴轟く嵐でした。1968年6月4日、キング牧師は疲労で体調も悪く、ストライキ中のゴミ収集作業員を支援する予定の集会はできないと考えていました。しかし、悪天候を物ともせず大群衆が会場の教会に向かっていると聞き、驚いて駆けつけ、「私は山の頂きに立った」という有名な演説をしました。翌日、キング牧師は銃弾に倒れましたが、この演説は、今も抑圧にあえぐ人々を「約束の地」の希望で励ましています。

打たれ強い信仰

シルバーレイクの北岸に沿って立つ砂丘は、近隣の家屋を脅かしていました。住民らは侵食してくる大量の砂を取り除こうと奮闘しましたが、立派な家が眼前で砂に埋もれていくのを傍観するほかありませんでした。破壊されたコテージの瓦礫の撤去を監督していた地元の役人は、回避不能の事態だったと断言しました。どれほど頑張っても、砂丘が強固な地盤になることはありません。

生き抜く力

父は2006年に神経系の病気になりました。記憶力低下、言語障害、運動障害が起こり、2011年に寝たきり状態になって以来、母が自宅で介護しています。発症当時は不安で真っ暗闇にいるようでした。私は介護について何も知らず、家計や母の健康も心配でした。

何ものも引き離せない

プリスの父は牧師でしたが、神の求めに応じて一家で辺境の地に行き、以前は家畜小屋だった廃屋に住みました。幼い頃、藁ぶき屋根から雨水がこぼれ落ちる中、床に座ってクリスマスの賛美をささげたと言います。父は「貧しいからといって、神に愛されていないわけではないよ」と語りました。

慰めを分かち合う

孫のカルムが訪ねてくると、袖の先にミトンが付いた妙なシャツを着ていました。慢性湿疹のかゆみのために、皮膚を引っかいて傷つけないようにするためです。7ヵ月後、娘も同じような症状に悩まされ、自分もミトンのついたシャツが必要だと言いました。息子の辛さが分かったと語りました。

苦難の目的

ある教会に招かれて礼拝メッセージを取り次いだ後、ひとりの女性の言葉にあぜんとしました。「先生の話によれば、私は悪くないのですか。持病のために祈り、断食し、罪を告白し、言われたことはすべてやったつもりです。でも癒やされなかったので、自分のせいだと思っていました」。私は悲しくなりました。この人は、問題の解決に対する信仰の処方箋を与えられ、それが功を奏しないのは自分のせいだと自分を責めてきました。それが間違っていることは大昔に証明されているのに、です。