希望は誰のもの
近頃は、何を見ても驚かされまいと努めていますが、ショッピングモールで横を通り過ぎた女性のTシャツに書かれていた文句にはドキッとしました。太い活字で、「希望はおバカさんのもの」と書かれていたのです。確かに、うぶで乗せられやすいことは、愚かで危険です。根拠のない楽天主義が失望や傷心という悲しい結果を招くこともあるでしょう。だからと言って、希望を持たないようにするのは、あまりに悲観的でひねくれた人生観です。
聖書の希望は独特です。それは確かな信頼です。この世界の中で何かをしようと神が働いておられる、そして、「私」の人生の中でも神が働いておられると信じることです。これこそが、みんなが必要としているものです。ヘブル人への手紙の著者は、「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか」(ヘブ10:23)と記して、はっきりと希望の大切さを述べています。
聖書に根ざした希望を持つことは、愚かなことではありません。それにはちゃんとした根拠があるからです。私たちの神は真実なお方ですから、キリストを信じて手にした希望を、しっかりと握っていましょう。現在でも未来でも、私たちがどんなことに直面したとしても、神は信頼できるお方です。私たちの希望の土台は、永遠の愛をもって愛してくださる神の信頼できる品性です。あのTシャツの言葉は間違っています。「希望はおバカさんのもの」ではありません。希望は、あなたと私のものです。
神からのメッセージ
レイ・トムリンソンは1971年、人がコンピュータを介して対話する方法をいくつか試していました。彼はネットワークを通して、自分のコンピュータから別のコンピュータにメッセージを送ったのですが、これが世界で最初のEメールです。数十年経た現在、毎日10億通以上のEメールが送信されています。
ルツの選択
聖書の時代、夫を亡くした女性は貧しい暮らしを強いられました。ルツと姑のナオミも例外ではありません。しかし、神はご自分の大きなご計画にルツを組み入れながら、ふたりの生活を守るように計らわれました。
山鳴らし
ミシガン州のアッパー半島に行ったとき、ある2本の木が目にとまりました。周囲の木の葉はじっとしているのに、この2本の木の葉だけは、ほんの少しの風でハタハタと揺れています。それを指差すと、妻は、あれはアメリカヤマナラシ(山鳴らし)だといいました。
長く曲がりくねった小道
◆ Ⅱ歴代誌20-22
人生の小道は、何と険しく長いのだろうと感じるときがあります。そんな旅に耐える体力や気力はもうありません。しかし、私は気づくのです。神は、この道をご存知だと。神は、私が歩む前からそれを知っておられます。神は、私の苦難や口では説明できない痛みをすべて知っておられます。そして、「一緒にいるよ」と言ってくださいます。