風のために労苦する
昨年カナダは大雨に見舞われ、トロント在住の弁護士ハワード・レビット氏は、水没した高速道路で2千万円もするフェラーリを失いました。単なる水たまりだと思って突っ込んでいくと、それは思ったより深く、その上、水かさがあっという間に増えていきました。フェンダーの高さまで車が水につかったとき、450馬力のエンジンは止まってしまいました。レビット氏が車から脱出して高台に避難できたのは、不幸中の幸いでした。
神とともに永遠に
アメリカ南北戦争直前の不穏な空気漂う1859年のことです。アブラハム・リンカーンは、ウィスコンシン州ミルウォーキーの農業組合で講演しました。彼は、いつの時代でも、どのような状況にあっても真理であり、語るにふさわしい言葉を見つけよと命令された古代国家の賢者の話を紹介しました。王の無謀な命令に、賢者は次のように答えました。「そして、このことも、やがて過ぎ去っていく。」
遅すぎる
私は大学で文筆の講義をしていますが、毎年一回生には、課題の提出期限を厳守するように伝えます。次々に与えられる課題を、期限内に提出しなければ及第できないと警告します。しかし、ほとんど毎年、私の言ったことを言葉どおりに取らない学生が現れます。このような学生は、最後の授業が終わったあとで、慌てふためいたメールを送ってきて、するべきことをきちんとできなかった理由を述べたてます。私はこう告げざるを得ません。「残念だけど、遅すぎたよ。君は落第だ。」
最後から読む
本の最初を読まずに、結末を読んでしまうことが時々あります。そして、登場人物の中で誰が生き残り、誰が死んでしまうのかが分かり、結末を知ります。その後、私は心安らかにじっくりと、物語の筋や登場人物の有り様を味わったり、楽しんだりするのです。
永遠についての視力
先月、目の検診で、遠くがよく見えるようになったと言われました。それは良かったと思ったのですが、友人には「加齢すると遠くが見えやすくなるけれど、近くが見え辛くなるのよね」と言われてしまいました。
やり残したこと
レオ・プラスは、99歳で東オレゴン大学の卒業証書を手にしました。教育学部で学んでいたのは1930年代でしたが、家計を担うために退学して木材会社に就職しました。79年後、彼は卒業に必要な残りの単位を修得し、自分の人生でやり残した事業を完成させました。
安らぎの家
建設会社の人事部に勤務していたときのことです。会社が隣の州の仕事を受注して、作業員たちの通勤時間が往復4時間ほどになりました。私たちは、彼らの負担を軽くするために、現場近くで宿泊施設を確保しましたが、同時に運転手付のワゴン車も手配して自宅通勤の希望者にも備えました。驚いたことに、ほとんどの作業員は自宅通勤を選びました。
その中の一人は、職場で一番気難しい人でした。ところが彼は、別人のような笑顔で最初の夜に帰宅したときのことを嬉しそうに話しました。彼は通勤という選択肢があることを話さず、家族をびっくりさせようと思っていました。案の定、彼が帰ると、妻と4人の息子たちは驚いて大喜びしたのです。後日、彼の妻は社長にお礼の電話をしてきました。そして、家庭が大切であることを分かってくれる会社には、家族一丸となって誠を尽くし、ずっと支えていくつもりだ、と言ったそうです。
イエスは永遠の住まいをあげようと言われましたが(ヨハ14:2)、そのおことばに弟子たちがどれほど慰められたかは、短期間でも自宅に帰ることができなかった人ならわかるでしょう。イエスは、「あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(3節)とおっしゃったのですから、これ以上の喜びはありません。イエスとともにいられるのは最大の喜びです。
主イエスとともに住むために私たちは天の我が家に行く、とイエスは約束してくださいました。これは人生最大の慰めです。
賞を目指して走る
アイディタロッド・トレイルレースは、毎年3月にアラスカで行われる犬ぞり競走です。そりを引く犬たちとマッシャーと呼ばれる御者は、アンカレッジからノームまでの1,670キロあまりの道のりを8日から15日間かけて走り、その速さを競います。2011年の覇者ジョン・ベイカーと彼の犬たちは、全工程を8日間と19時間46分39秒で走り抜きました。マッシャーと犬たちのチームワークは素晴らしいものです。また、彼らは勝つために、執拗(しつよう)ともいえるほどに努力を惜しみません。優勝者には現金と小型トラックが贈られますが、極めて過酷な天候の中、あれほど辛抱したことに比べれば、この賞金や賞賛はあまりにはかなく、大したものではないように思えます。
使徒パウロにとっても、レースの興奮は馴染みの概念でしたが、彼はそれを永遠を思い描くために用いました。パウロはこう書いています。「また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです」(Ⅰコリ9:25)。
私たちは時に、一時的な報酬に目を奪われそうになります。しかし、そのような報酬は、時間とともに消え去ります。一方聖書は、永遠に続くものに目を向けなさいと促しています。私たちは、永遠に続く霊的なインパクトの報いを追い求めながら、神をあがめましょう。
ロイヤル・ウェディング
◆ エズラ記1-2
◆ ヨハネ19:23-42
結婚式は、昔からずっと、贅沢をする機会でした。現代の結婚式は、若い女性が一日だけお姫さまになるという、子どもの頃からの夢を実現するチャンスになっています。優雅なドレス、お姫さま風の髪型、豪華なブーケ、素晴らしいごちそう、そして、家族や友人からの溢れんばかりの祝福が、夢物語の雰囲気をしっかりと盛り上げます。多くの親は、娘の夢を実現させるために、早くから貯金を始めて多額の費用を準備します。ましてロイヤル・ウェディングともなれば、その贅沢さは格別です。私たち「庶民」は、めったにお目にかかれない豪華さです。1981年、英国のチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式の様子が世界に放映されたとき、多くの人たちは、その豪華さの一端を垣間見ることができました。