イエスの祈り
苦境に立った時、「イエス様、私のためにどう祈ってくださっていますか」と心から問いかけたという友人の話は、私の祈りというものに対する理解と実践に新たな一面を加えてくれました。
意味を求めて掘る
我が家の新しい子犬ウィンストンは、かむ、寝る、食べるの他、穴掘りをします。真剣に、激しく、取りつかれたように堀って、土まみれになります。この子はなぜこんなに掘るのだろうと考えていてハッとしました。そういえば、私も掘ります。私に幸せをくれそうなものを次々と「掘る」傾向があります。それは、必ずしも悪いものばかりではありませんが、神以外のものに執着すると、泥にまみれながら、もっともっとと夢中に掘ってしまいます。
キリストと共に走る
父が学生時代に陸上競技で獲得したトロフィーが棚で輝いているのを見て、7歳のトムは、自分も一つ欲しいと思いました。「お父さん、トロフィーを一つもらってもいい?」ところが、父は驚いたことに「いや、これはお父さんのものだ」と答えました。「お父さんが頑張った証しだ。お前も頑張って自分のトロフィーをもらいなさい」。そして、トムが一定時間内に近所の一画を走れたら(父が息子に可能な範囲を設定)、トロフィーをあげようと提案しました。トムは父の指導を受けて練習し、1週間後、父の応援を受けて走りました。7歳の少年は自制や努力を学び、父は褒美を与えて息子を祝福しました。
時宜にかなって仕える
マークはケイラブの信仰と生活面の成長のために、何年も自発的に彼に関わってきました。ところが、牧師がケイラブの指導役に他の人を任命し、「ついにケイラブに相談相手ができた」と発言しました。それを知ったマークは、「長年、僕がしてきたことは何だったんだ?」とがくぜんとしました。報酬とか承認を求めていたわけではありません。けれども傷つきました。
主を求めて生きる
消息不明のタイラーの遺骨が家族のもとに届きました。弱冠22歳。薬物の過剰摂取によって死亡したようでした。タイラーは人生の選択を誤り、薬物依存に長く悩まされていました。既に薬物更生施設に入所し、回復プログラムを修了していたというのに……。ところが、衝撃の事実が発覚しました。タイラーは生きていたのです。過剰摂取で死亡したのは別の若い男性でした。タイラーは家族と再会しました。そして、亡くなった人について、「自分もああなっていたかもしれない」と言いました。
神がおられる
祖父の命が一両日で尽きるだろうと言われた時、私たちは祖母の動揺を心配しました。誰かが「大丈夫?」と尋ねました。病状の説明か他の何かが欲しいかもしれないと考えたからです。祖母は少し考えて答えました。「夫がどこへ行くのかは知っているし、神はそこで、彼と共にいてくださる。大丈夫よ」。その言葉の奥には「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし 陰府に身を横たえようとも 見よ、あなたはそこにいます」(詩139:8)と語ったダビデと同じ気持ちがありました。
洞窟の中で
ケンタッキー州のマンモス・ケーブにつながる巨大地下洞窟に、10代の活発な少年3人組が入っていきました。引率はこの洞窟の危険を熟知しているベテラン探検家のフランクです。ところが少年たちは、彼の「こっちだ!」という言葉を無視して勝手な道を進みます。それでフランクはヘッドランプを弱にして沈黙しました。少年らは彼を見失ったと恐怖に駆られ、フランクの名を呼びましたが、返事はありません。ようやく遠くでまたたく光を見て安堵(あんど)し、引率者に従う気になりました。
必死の祈り
ケリー・パッカードは、転居の荷造りの最中に突然倒れ、心停止になりました。一旦は蘇生したものの夜間に容体が悪化し、夫は親族に連絡するようにと医師に告げられました。家族は必死に祈りました。
成熟した信仰
ゲイルが駆け出しのキリスト教作家だった頃、出版社は花束やチョコレートなどを頻繁に贈ってくれました。しかし、その贈り物はやがて永続的な価値のあるものに変わりました。通読用の聖書、デボーションガイド、祈りの日記帳などです。これらを使ううちにゲイルの信仰は成長し、人々をキリストへ導くことに真剣になりました。