Month: 10月 2013

失って見出す

世界の人々は1997年、マザーテレサの訃報に接して、その謙虚な生き方に改めて感動しました。彼女は、インドのカルカッタに「ミッショナリーズ・オブ・チャリティー」(神の愛の宣教者会)を設立し、50年の間、貧しさと病と孤独の中で死を迎える人たちに手を差し伸べてきました。

キャンペーン

毎年、私たちの地域の若者たちは「優しくなろう」キャンペーンに参加します。2012年には6千人の生徒たちが協力して、運動場に人文字で「優しくなろう」と書きました。ある校長は「生徒たちが、いじめの恐怖や不安を持つことなく学校に来て、学習できることを願っています。生徒たちが互いに傷つけあうのではなく、互いに励まし合って学校生活を送ることができるように、私たちも一生懸命努力しています」と語りました。

ああ、素晴らしい日!

我がチームは破れ、優勝の夢は、ついえてしまいました。寒空に雲が垂れ込めた翌朝、私は出勤しようと車に乗り込みました。大したことは何もないのに、何となく暗い気分の月曜日でした。

道に迷う

昨年の秋、私の町を通る高速道路で畜牛のトラックが横転し、道路が数時間通行止めになりました。牛たちは逃げ出し、道路を横切って徘徊していました。牛がさまよう姿をニュースを見て、私は最近読んだ出エジプト記32章を思い出しました。神を離れてさまよう民が金の牛を造った、あの話です。

いつまでですか?

サウル王は9年間、「山で、しゃこを追うように」ダビデを追っていました(Ⅰサム26:20)。ダビデは、「主よ。いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。…いつまで敵が私の上に、勝ちおごるのでしょう」と祈りました(詩13:1-2)。

終わり?

世のすべてのものには終わりがある、というのは、時として辛いことかもしれません。おもしろい本を読んでいると、終わってほしくないと思います。もうすこし長ければよかったのにと、映画を見終わって思うこともあります。

バリアフリーの愛

少し前、隣の家の方から悲壮な鳥の鳴き声が聞こえてきました。ひなたちのいる巣は通気口の中にあったのですが、入り口にネットが張られていました。親鳥はおなかを空かせたひなたちに、餌を届けられなかったのです。お隣さんにそのことを伝えると、彼らはネットを外して巣を安全な場所に移し、母鳥が子育てできるようにしてくれました。

コアデ石

ロンドンには「コアデ石」と呼ばれる独特な資材で造られた建造物がたくさんあります。これは1700年代の後半、エレノア・コアデが家族で営んでいた工房で開発された人工石で、朽ちることがないといっても過言ではありません。それは、経年、悪天候、大気や水質の汚染にも耐えることができます。コアデ石は産業革命期に一世を風靡しましたが、エレノアの死後、1840年代には徐々に衰退し、ポルトランドセメントが主な建築資材になりました。しかしながら、この丈夫な人工セラミックによって築かれた建造物は、大都市ロンドンの厳しい環境を耐え抜いて、150年以上たった今も、およそ十数例を残しています。

子どものときの夢

数年前、5年生の生徒に、「もし来週、イエス様が来てくださるとしたら、どんな質問をしたい?」と尋ねました。また、同じことを大人のグループにも聞きました。両者の返答は驚くほど違っていました。子どもの質問は、かわいらしいものから鋭いものまでありました。例えば、「天国では一日中聖歌隊の服で歌っていなければなりませんか」「僕のワンちゃんは天国にいますか」「くじらは、ノアの箱舟に入っていましたか」「私のおじいちゃんは、天国で何をしていますか」といったものです。天国の存在や神の奇跡を疑問視するものは、ほとんどありませんでした。