Month: 9月 2015

ティッシュの箱

手術室の待合に座って思い巡らしていました。ほんの少し前ここに来たときは、たったひとりの弟が脳死だと言われました。そして今日、妻が手術を受けているのです。私は知らせを待ちながら、妻に長い手紙を書きました。周囲はざわざわしていましたが、神の静かな声を聞こうと、私は耳を澄ませていました。

苦しみの中の教訓

スクリーンの映像は大きく鮮明で、皮膚の裂けた深い傷がよく見えました。血だらけになった男を兵士がむち打ち、群衆はあざ笑います。それがあまりにもリアルなので、私は自分が痛いかのように、野外劇場の静寂の中で顔を歪めました。しかしこれは、苦しむイエスを再現する映画にすぎません。

午前2時の友

キリストを信じる信仰で堅く結ばれたグループについて聞きました。メンバーのひとりで93歳の女性は、「助けがいると思ったら、午前2時にでもグループの誰かに電話して、遠慮せず頼みごとができると感じている」と語ります。この人たちはお互いのために無条件で献身し合っています。

神は気にされないのか

飲酒運転のドライバーが事故を起こしても無傷で、しらふの被害者が重傷を負ったのはなぜでしょう。悪人が栄え、善人が苦しむのはなぜですか。身の回りで起こることに困惑して、「神さま、どうなっているの!」と叫びたいことが何度あったでしょう。

見捨てられたと感じる

クリスチャンを誘惑しようとする老練の悪魔と若輩の悪魔の架空の会話が、C.S.ルイスの著書「悪魔の手紙」の中に記されています。彼らの目標は、クリスチャンの信仰を壊すことです。しかし、先輩悪魔は言いました。「惑わされるなよ。…私たちの仕事が、最もあやうくなるのは、…人間が世界を見回して、神の形跡が全く消え失せたように感じ、なぜ見捨てたのですかと問いながらも、それでもまだ神に従うときなのだ。」

聖書には、忘れられたと感じているにもかかわらず、信仰を貫いた人たちがいます。アブラムは子孫を与えるという約束が反故(ほご)にされたと感じ(創15:2-3)、詩篇の作者も困難の最中で、神に忘れられたと感じました(詩10:1)。ヨブの問題は非常に大きく、神に殺されるのではないかと思いました(ヨブ13:15)。そしてイエスは、十字架から「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました(マタイ27:46)。しかし、神は常に忠実でした(創21:1-7詩10:16-18ヨブ38:1-42:17マタ28:9-20)。

サタンはあなたをも誘惑し、神に見捨てられたと感じさせるかもしれませんが、神はいつも近くにおられます。ご自分の子を決して見捨てられません。聖書は語ります。「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』」(ヘブ13:5)。私たちは確信をもって「主は私の助け手です。私は恐れません」(6節)と言うことができます。

神の方位計

第二次世界大戦中のことです。小さな方位計がノース・カロライナの沿岸500キロの沖合で、27人の乗組員を救いました。ワルデマー・セメノフは商船の船員でしたが、退職後、蒸気船アルコア・ガイド号に次席機関士として乗り組みました。その船がドイツの潜水艦の砲撃を受けて炎上し、沈没しました。セメノフ機関士と乗組員は、方位計を装備した数隻の救命艇をおろして乗り移り、方位を計りながら陸地に近い航路帯を目指しました。そして三日後、彼らは救助されました。

言行一致

大学で教えている学生から、切羽詰まったメールが届きました。学期末が近づいたところで、そんな成績では来期は部活に入れてもらえないと気づいたのです。さてどうしましょう。彼には未提出の課題がありました。そこで、2日の有余を与えるので課題を仕上げるように返信しました。彼は「ありがとうございます。そのようにします」と答えました。ところが、2日経ってもなしのつぶてです。その学生は言行不一致でした。

神はそれほどまでに愛された

第一次世界大戦勃発100周年にあたる2014年7月28日、英国のメディアは4年間の大戦を回顧する討論やドキュメンタリーをいくつも放映しました。連続ドラマ「セルフリッジ英国百貨店」(ロンドンに実在するデパートが舞台)も、1914年、若い店員たちが列をなして軍隊に志願するという挿話を盛り込みました。この自己犠牲をいとわない青年たちの様子を見て、私は胸が詰まりそうでした。兵士たちはあまりにも若く、情熱的です。しかし、恐怖と悲惨の戦場から彼らが帰還できる可能性は、ほとんどありませんでした。

二頭の熊

何年も前、私たち夫婦は、ワシントン州のレーニア山に登ってキャンプをしました。ある日、夕暮れ時にテントに戻る途中、草の生えた平地で大きな雄熊二頭が殴り合っているのを見つけ、立ち止まって眺めました。近くにいた登山者に喧嘩の理由を尋ねると、「若い雌ですよ」という返事でした。