理解できなくても
仕事をするために毎日、IT技術のお世話になっています。パソコンの電源を入れ、文章作成ソフトを起動し、執筆に取り掛かります。しかし、その仕組みをほとんど知りません。マイクロチップ、ハードドライブ、フルカラーディスプレイ、Wi-Fi接続などがどうなっているのか、よくは分かりません。しかし、だからといって、これらの技術の恩恵を受けられない、ということはありません。
考え方を形成する
マーシャル・マクルーハンは1964年、「メディアはメッセージだ」と語りました。パソコンや携帯電話、インターネットが存在すらしない時に、私たちの思考がメディアに影響されることを予測していたのですから、何という先見でしょう。ニコラス・カーは自著「ネット・バカ: インターネットが私たちの脳にしていること」で、次のように述べています。「メディアは…思考のプロセスを形成してもいる…ネットは現在、わたしの集中力と思索力をそぎ取っている…いまやわたしの脳は情報が、ネットから与えられているときと同じかたちで、つまり細分化された断片の迅速な流れとして入ってくるものと思っている。」
灼熱の太陽からの安堵
英国に住んでいると、日焼けを気にすることはめったにありません。太陽は大抵、厚い雲におおわれていますから。しかし最近スペインに行って、色白の私の肌は、強い日差しに10分と耐えられないと気づきました。私は慌てて、パラソルの下に逃げ込みました。
誰が告げるのか
第二次世界大戦が終わり、平和が宣言されました。しかし、フィリピンのルバング島に駐留していた大日本帝国陸軍の小野田寛郎少尉は、戦争の終結を知りませんでした。終戦を知らせるビラが空からまかれるなど、捜索活動はありました。しかし1945年、彼が最後に受けた命令は、「そこに留まり戦え」でしたから、それらは敵の陽動作戦だと考えたのです。小野田少尉が投降したのは、1974年の3月、終戦から30年近くたってからでした。彼の上官だった元陸軍少佐がフィリピンに赴き、正式に任務を解除しました。こうして小野田少尉は、ようやく戦争の終結を受け入れました。
主を愛するから
夫が出張から帰る前日、息子が「ママ、パパが早く帰ってくるといいね」と言いました。私は「なぜ?」と尋ねながら、「お土産を買って来てくれるから」とか、「いっしょにボール遊びをしたいから」などと答えるだろうと思っていました。ところが息子は真顔で、「パパが大好きだから、早く帰って来て欲しいんだ」と言いました。
誰を守っていますか
前に出て文法を説明しなさいと先生に言われて、キャスリンはうろたえました。彼女は転校生で、前の学校ではまだ、その文法は習っていません。クラスのみんなは彼女をバカにして笑いましたが、先生は即座に、「君はすぐに、他の誰よりも上手に文章を書くようになるよ」と言ってかばってくれました。彼女は、その時のことを感謝しつつ思い出します。その日以来、キャスリンは先生の期待に応えようと全力で良い文章を書きました。やがてキャスリン・パーカーはジャーナリストとなり、ピューリッツァー賞を受賞しました。
上を向いて
エミルは年中、下を向き、地面ばかりを見てあてもなく、とぼとぼ街を歩くホームレスでした。彼は人と目を合わせません。路上生活をする前の知り合いに気づかれると恥ずかしいですし、道に落ちている小銭やタバコの吸い殻も探しているからです。下を向いてばかりいたので、背骨がすっかり曲がってしまい、まっすぐに立つことは困難です。
見守る存在
リオデジャネイロ。この大都会のどこに行っても、2016年のオリンピックの選手たちは、イエスを見上げることができます。この町の上方、標高約700メートルのコルコバードの丘には、「救世主キリスト」と呼ばれる巨大な像が立っています。大きく腕を広げた姿は、下界の大都市のどこからでも、昼夜を問わず見ることができます。
不完全
デイビッド・ナセルは自著「火の中を走り抜ける」で、自らの信仰の旅を語ります。まだ救われる前の中高校生の頃、数人のクリスチャンと友だちになりました。ある時、そのひとりがガールフレンドに嘘をつきました。ところが、その生徒は罪悪感にさいなまれて嘘をついたと告白し、彼女に赦しを請いました。ナセルは、この一件でクリスチャンの友人への親近感が増したと語ります。彼は自分と同じように、クリスチャンにも神のあわれみが必要だと分かりました。