いつも仕える
教育心理学者ベンジャミン・ブルームが、子どもの才能の引き出し方に関する研究で、アスリート、アーティスト、学者など、120人のエリートの幼少期について調べました。すると、彼らには、集中して練習することを長年続けていたという共通点がありました。
決めつけない
和解について話し合う場で「決めつけてはいけない」と助言されました。私たちは一度の間違いで相手を決めつけ、変わるチャンスを与えない傾向があります。
惜しみなく与える者
教会の役員たちは、神が長年、この教会を通して地域に成された業を振り返り、今以上に地域に仕えるために体育館を建てようと提案しました。そして牧師を含めて彼ら自身がまず、建設費用の誓約書に署名しました。私は、今以上の献金は難しいと感じつつも、この計画のために夫婦で祈ろうと決めました。しかし、神が生活の必要を賄ってくださると考え、結局、建築事業に献金しました。そして、教会員の献金だけで体育館が建ちました。
イエスにお目にかかりたい
ある女性の告別式で説教壇から祈りをささげていると「先生。イエスにお目にかかりたいのですが」(ヨハ12:21)と記した額が目に入りました。今、見送る人の人生に、私たちがイエスを見ていたことを思い出し、何と相応しいみことばかと感動しました。彼女の人生には困難も挫折もありましたが、その信仰は揺らぎませんでした。神の御霊が彼女の内に住んでいたので、私たちは彼女にイエスを見ました。
永遠の幸福
やりたいようにやるという生き方で幸福になれると聞きますが、それは間違いです。その考え方は、虚しさや不安、苦悩を生むだけです。詩人のW.H.オーデンは、快楽の中に逃げ場を探す人々を観察し、「お化けの森に迷ってしまった、夜を怖がる子ども、決して幸せにも善良にもなれない」と書いています。
神の思いやり
幼い孫たちは、自分で着替えることを楽しんでいます。時にはシャツを後ろ前に着たり、弟の方は、靴を左右逆さに履いたりすることが多いのですが、間違いを指摘することは、私にはできません。孫たちの無邪気さが可愛いのです。
家を指し示す祈り
子どもの頃に最初に学んだ祈りは「これから眠ります。主よ、私のたましいをお守りください」でした。親から教えてもらい、自分の幼い子どもたちにも教えました。私は、こう祈って神の御手に自らをゆだねると、安心して眠れたのです。
進行中、それとも完了?
月ごとに仕上げる仕事は「完了」のボタンをクリックして終わります。しかし先月、ふと思いました。「自分の信仰の未熟な分野も、こんなふうならいいのに。信仰生活は常に進行中で、決して完了には至らないなあ」と。
素晴らしい造り主
神の創造の御業の一端をカメラで撮ることは、私のアマチュア写真家としての喜びです。美しい花びら、輝かしい日の出や日の入り、雲に彩られたり星がまたたいたりする空には、神の指の跡がついていると思います。