神から隠れる
小学3年生のかくれんぼの思い出です。鬼の私は教室を出て、物置や戸棚など、あちこち探して友だちを見つけましたが、最後の一人が見つかりません。ついに彼女が、天井から吊るしたシダの鉢植えの向こうから出て来たときは、自分の目は節穴だったかと思いました。隠れていたのは彼女の頭だけで、他は丸見えだったのです。
生きている間に与える
人生後半の数十年、蓄財を寄付するために費やした大富豪がいます。北アイルランドの和平、ベトナムの医療システムの近代化など、様々な目的のために寄付をし、亡くなる直前には、ニューヨークのルーズベルト島を応用科学のハブセンターにするために、380億円相当を寄付しました。彼は「生きている間に与えるのが私の信念です。躊躇する理由など思いつかない……死んでからより、生きている間に与える方がずっと楽しいですから」と語りました。何と素晴らしい姿勢でしょう。
学ぶことを愛する
ジャーナリストになった経緯を尋ねられた男性は、彼の知りたいという思いを応援してくれた貧しい母の話をしました。彼女は日々の通勤電車で、座席に放置されていた新聞を集めて、息子のために持ち帰りました。彼は特にスポーツの記事が好きでしたが、他の分野と出会うきっかけにもなり、最終的に幅広い興味を持てるようになりました。
目をさましていなさい!
ドイツの銀行の職員が、顧客の口座から8千円相当のユーロを送金している最中に睡魔に襲われ、キーを長押しした結果、288億円相当が送金されました。その結果、送金を認証した同僚まで解雇されました。事態は発覚し訂正されましたが、眠気が引き起こした些細な過失は、彼の不注意のために大事になるところでした。
愛の偉大な贈り物
息子のジェフは、路上に放置された歩行車に気付き、困っている人がいたら大変だと思って辺りの様子を見にいきました。すると、店舗の陰に倒れているホームレスの男性を見つけました。大丈夫かと尋ねると、「酒を死ぬほど飲んだ。テントが壊れてすべてを失った。もう生きていたくない」と話しました。
人生の嵐に立ち向かう
その夜、テネシー州メンフィスは雷鳴轟く嵐でした。1968年6月4日、キング牧師は疲労で体調も悪く、ストライキ中のゴミ収集作業員を支援する予定の集会はできないと考えていました。しかし、悪天候を物ともせず大群衆が会場の教会に向かっていると聞き、驚いて駆けつけ、「私は山の頂きに立った」という有名な演説をしました。翌日、キング牧師は銃弾に倒れましたが、この演説は、今も抑圧にあえぐ人々を「約束の地」の希望で励ましています。
闇と光
私はこの世界の破れ目の一端を裁判所で目撃しました。疎遠な親子、かつての愛が憎しみに変わった夫婦。妻の赦しと家族の再建を切望する夫。この人たちには、心が変えられ、傷が癒やされ、神の愛に圧倒されることが、絶対に必要です。
死によるいのち
カールのがんの治療には両肺の移植が必要でした。彼は新しい肺をくださいと祈りながら、違和感がありました。なぜなら、自分が生きるためには、誰かが死ななくてはならないからです。
有言実行
末っ子のザビエルが幼稚園に入った時、聖書の読み聞かせを始め、みことばを適用できる状況があると聖句を教えるようにしました。息子は自然に聖句を覚え、知恵が必要な苦境では、真理の光が指し込むような言葉を口にします。ある日、私はあることに腹を立て、とげとげしい言葉を口にしました。息子はそれを聞くと私を優しく抱きしめ「ママ、自分がいつも言っているとおりにしようね」と言いました。