Month: 10月 2022

明るい未来を作る

カンザス州の小さな町ネオデシャの高校で、生徒300人が驚く話を聞きました。町とつながりがある夫婦が、この先25年間、ネオデシャ出身の大学生の学費を払ってくれるというのです。彼らは驚がくし、大喜びで、涙ぐむ者もいました。

悲しみと感謝

母が亡くなったとき、がん病棟の患者の1人が、私に話しかけ「お母様には、とても親切にしてもらいました。私が先に死ぬはずだったのに……」と言ってすすり泣きました。

心の故郷

迷子犬のボビーは、飼い主が夏の休暇を過ごした時にはぐれてしまいました。家から3500キロ以上離れた土地です。一家は必死で探しましたが見つからず、傷心のうちに帰宅しました。

鏡に照らして

心理学者が自己認識を調べるために「鏡の中にいるのは誰?」と子供たちに尋ねました。通常、幼児は1歳半ぐらいにならないと、鏡に映っているのが自分だと分かりません。しかし、成長すると、それが自分だと分かるようになります。自己認識は、正常な発育を知るうえで、重要な目印です。

神の柔和な恵み

詩人のエミリ・ディキンスンは「真実そっくり語りなさい。しかし斜めに語りなさい」と書きました。神の真実と栄光は、人間というもろい存在には「明るすぎ」て、直球で受け取ることはできません。ですから、神の恵みと真理は、ふんわり、やんわり伝えるのがよいそうです。「真実はゆっくりと輝くのがよいのです さもないと誰もかも目がつぶれてしまいます」

解放された者として生きる

私たちキリスト者は、御霊によって生きることと、自分の思い通りに生きたいという自我との間で、常に葛藤します。そこから逃れる道は二つしかありません。一つは、死んで神のもとに行くこと、もう一つは、人間だから仕方がないと、あらがうのをやめてしまうことです。後者は、決して選んではならない選択肢です。

絶望的に聞こえますか。しかし、自我との戦いは負け試合ではありません。パウロはローマ人への手紙6 章で、その根拠を述べています。私たちはかつて、罪に支配されていました。しかし、イエスと共に死に、罪から解放されたおかげで(7 節)、イエスと共に生きる者となり、自分の考えや望みを軸に生きようとする罪の支配は終わりました(14 節)。以前の支配者と御霊との綱引き状態の中で暮らしているので、誘惑に心引かれることはありますが、イエスのものとなった今、御霊を選び続けることができます。

自我との戦いが絶望的でないと言えるもう一つの理由は、必ず終わりが来るからです。聖霊は、私たちがキリストのものだという事実を示す印であり、未来を保証するものだ、とパウロは語ります(エフェソ1:13-14)。
御霊に満たされた人は、いつの日か完全に変えられ、新しい復活のからだを持つようになります。そこでついに、罪を犯す誘惑や衝動から完全に解放されるのです。

今の私たちに与えられた聖霊のご臨在は、罪も苦しみも恥もない、栄光ある神の子としての輝かしい未来を指し示しています。

Live Free: A Fresh Look at the Fruit of the Spirit © 2014 から抄訳

どうすれば聖霊の力によって精いっぱい生きられるでしょう。今月は、御霊の実が私たちの心や生活に反映されるとはどういうことかを考えてみました。

【このテーマは今月の以下のエッセーでも取り上げています。】

1日 神の助けと柔和な応答

8日 聖霊の働き

15日 希望を探し求める

22日 神と歩調を合わせる

実が教えてくれる

米国のクイズ番組「本物は誰だ」のエンディングは、「本当の○○さん、お立ちください」という決まり文句です。ある人物を名乗る3人に、4人の芸能人が質問をします。もちろん、2人は偽者で、本物を見分けられるか否かは彼らの腕にかかっています。「赤鼻のトナカイ」を作詞したジョニー・マークスを当てなければならない時もありました。良い質問をしても、本物を言い当てるのは結構難しいものです。番組を面白くするために、偽者は上手に嘘をつくからです。