ひとりではない
フレドリック・ブラウンの短編小説『ノック』は「地球上で最後に残った男が、ただひとり部屋のなかにすわっていた。すると、ドアにノックの音が……」と語ります。謎の生き物が来たのでしょうか。彼はひとりではなかったのです。
聖書を学ぶ
最初は1877年にカナダのモントリオールで、続いて1898年にはニューヨークで、それは始まりました。1922年までには、北米の約5千カ所で、子供の夏季聖書キャンプが開かれるようになりました。これが、バケーションバイブルスクール(VBS)の前身です。VBSの先駆者たちは、若者が聖書を知ることを強く願っていました。
神の御前に静まる
人間が初めて写真に写ったのは1838年のことです。それは、昼下がりの閑散としたパリの大通りに立つ1人の人で、撮影したのは写真家のルイ・ダゲールです。それは不思議な光景でした。なぜなら、その時間帯には、街は馬車や徒歩の人々で溢れていたはずだからです。実際、撮影場所のタンプル大通りは、いつもと変わらず、人や馬車で賑わっていました。しかし、それらは写真に写っていません。というのも、当時のダゲレオタイプという技法の露光時間は7分でした。その間、静止しているものだけが被写体になります。歩道にじっと立って靴を磨いてもらっていた男性だけが、ダゲールの写真に写り込んだのです。
変化のゲーム
大学バスケットボールチームの選手、1人は黒人、もう1人は白人が、1963年3月のある夜、人種差別主義者の憎悪をよそに握手しました。米国ミシシッピ州には、白人のチームは黒人のいるチームとは戦わないという不文律があったので、これは州史初のことでした。ミシシッピ州立大学チームは「変化のゲーム」と後に呼ばれるこの試合のため、反対する地元の目を策を講じてくぐり抜け、州を出て、シカゴのロヨラ大学と対戦しました。一方、ロヨラ大学の黒人選手は、遠征中に物を投げられたり、施設を締め出されたりと差別されました。
決して死なないもの
ウクライナの友人アイラの近況に涙を禁じ得ませんでした。それは2022年、包囲されたキーウの自宅を離れた数日後のSNSの投稿でした。競技を終えて国旗を掲げた過去の自分の写真を載せ、次のように記していました。「私たちは皆、人生という名のマラソンを一生懸命走っています。今は、これまで以上に頑張りましょう。決して死なないものがあるのですから」。彼女は連日、祖国の人々のためにどう祈れるか、また、どう支援できるかに関わる投稿をしました。彼女はこういう形で走り続けたのです。
友と敵
アメリカの神学者ケネス・E・ベイリーは、国際社会で独自路線を行くアフリカ某国のリーダーについて語りました。その国はイスラエルと周辺諸国の双方と良い関係を築いています。不安定な情勢の中でバランスを保つ方法を尋ねられ、彼はこう答えました。「私たちは友を選びます。そして彼らに私たちの敵を選ばせません」
音楽は薬
ベラが小児がんでノースダコタ州の病院に入院した時、治療の一環として音楽療法を受けました。音楽を聴くと気分が良くなることは昔から多くの人が経験しています。今では音楽の臨床における効用は研究者たちによって論文にまとめられています。音楽療法は現在、ベラのようながん患者だけでなく、パーキンソン病や認知症、心的外傷の患者たちに有効とされています。
励ましの水
それを私は「緑の奇跡」と呼んでいます。もう15年以上、毎春、現れます。我が家の庭は冬の間にすっかり茶色くなるので、通りすがりの人には再起不能に見えます。コロラドの山岳地帯は雪が降りますが、ロッキー山脈の東側の平地は乾燥していて、暖かい季節には度々干ばつの警報が出るほどです。しかし、毎年5月末にスプリンクラーの水をちょろちょろ流し続けると、2週間ほどで芽吹きが始まり、干からびた地は青々とした庭に変化します。