ドリームスクロールよりも
子どもの頃、百貨店のクリスマスカタログをうっとり眺めて夢想にふけったものです。最近では、その手の画像はスマホに現れます。アルゴリズムが抽出した「夢」や「理想」を眺めて人々は時を過ごします。そういう行為を「ドリームスクロール」と呼ぶそうです。米国の平均的なスマホユーザーは、1日に2時間以上もドリームスクロールをするといいます。

閃光記憶
閃光(せんこう)記憶とは、感情的に強烈な出来事に関する鮮明な記憶を指します。まるでカメラのフラッシュがたかれた瞬間のように、その出来事の詳細が、鮮明に記憶されることから、この名前が付けられました。例えば、東日本大震災の発生時に「どこにいて何をしていたか」を詳細も含めて鮮明に覚えている人が多いのは、この現象の一例です。私の父にとっては、1941年初冬の日曜日、真珠湾攻撃を知って祖父が泣いていた光景です。父も含む息子たちが戦地に赴くことになりました。その時の父の記憶は、細かい部分まで非常に鮮明でした。

神を畏れる人
ロージーの誕生日のお祝いを忘れることはできません。おいしい食事、楽しい会話、おまけにかわいい初孫まで一緒でした。しかし、その素晴らしさも、二人の息子たちが母に贈った称賛の言葉に比べると色あせてしまいます。ロージーの結婚生活は破綻してしまいましたが、一人親として奮闘し、子どもたちの必要を献身的に賄ってきました。その姿は、息子たちの記憶に深く刻まれています。下の息子は「母は神を畏れる女性です」と語りました。それが子どもたちの目に映った彼女の生きる姿勢でした。

最初の一歩を
ディオグネトゥスは、2世紀の人物で、キリスト者がローマの迫害下で「日ごとにますます増えていく」と気付きました。彼は異教徒だったので「なぜこうなのか」と尋ねました。それに対するキリスト教会指導者の返答が、「ディオグネトゥスへの手紙」と呼ばれる歴史文書です。「罰する人を増やせば増やすほどに、まだ罰していない残りの人の数が増えているのが分かりませんか。これは人間の業ではなさそうです。神の力なのです」

絶え間ない賛美
ある夏、モンタナ州に車で行く途中、休憩所に立ち寄りました。中に入ると、若い男性がモップで床を拭きながら、なじみの賛美歌を歌っていました。それが終わると、次は「安けさは川のごとく」です。彼が「すべて……」と歌った時、私は自分を抑えきれず、「すべて……」と繰り返しました。「安し」と彼が歌うと、「安し」と繰り返しました。そして二人で「御神 共に ませば」と歌いました。