何もかも失ったとき
半年でジェラルドの人生は激変しました。経済危機で事業と財産を失い、息子を事故で亡くしました。母はショックから心臓発作で死亡、妻はうつ病になり、ふたりの娘たちは深く傷つきました。「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか」(詩22:1)というみことばを繰り返すほか、何もできませんでした。
優しく指摘する
風景画のクラスで最初の課題を描きました。経験豊かなプロの画家に批評してもらう段になり、酷評されると思いましたが、「色使いと、解放感は良いですね。遠くの木々の色をもう少し薄く、原っぱの草は、端をもっと柔らかく描いてください」と言われました。彼には私の絵を酷評する知識や権威がありましたが、優しい態度で的を射た批評をしてくれました。
切望の石
ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアは「ああ、すべての埠頭は切望の石」と書きました。船は出て行き、埠頭は別離とあこがれを胸に立ち続けます。私たちは、失ったもの、手の届かないものを思って悲しみます。ポルトガル語の「切望」は、望郷の痛みを意味します。詩人はその切なさを記したのです。
愛は捜し続ける
携帯電話やポケベルが無い時代、私は19歳で実家から千キロ以上離れた土地に引っ越しました。毎朝、母に電話する約束でしたが、ある時、それを忘れて出かけました。その夜、ふたりの警察官が家に来ました。それまで電話を忘れたことが無かったので、母が心配したのです。何度電話しても話し中だったので、警察に様子を見て来て欲しいと頼んだそうです。警察官は「愛情深く捜し続けてくださるお母さんで幸せですね」と言いました。
主は備えてくださる
大学を卒業し、大学院が始まるまでの間、私は不安でした。新しい土地に移るのでバイトが決まっていません。私はきちんと計画しないと落ち着かないタイプです。ところが、夏休みの終了間際、バイト先の会社から在宅で継続しないかと言われ、神が生活の面倒を見てくださっ ていることを再確認し、安心しました。
孤独問題担当国務大臣
ベッツィーは夫の死後、ほぼ毎日、自分のアパートでテレビを見たり、お茶を飲んだりし、ひとりで過ごしてきました。彼女だけではありません。英国では人口の15%に当たる900万人以上の人が、常に、あるいは頻繁に「孤独を感じる」と言っており、イギリス政府は支援策を講じるために孤独問題担当国務大臣を任命しました。
最良の戦略
娘のバスケットボールの試合を観客席から応援していると、コーチがコート上の選手たちに「ダブルス」と短く指示を出すのが聞こえました。即座に守備の体制が1対1から、パスが集中する相手チームの一番背の高い選手にふたりが付く体制に変わりました。彼女たちはその選手にシュートを打たせず、ついに、ボールを奪って、自分たちのリングに入れて得点しました。
涙の海
マサチューセッツ州ボストンに「涙の海を渡る」という銘板がありますが、これは1845年から数年続いたアイルランドのジャガイモ飢饉の際に、勇敢に大西洋を渡った人たちを記念しています。この災害で100万人以上の人々が亡くなり、更に100万人以上の人々が故郷を捨て、海を渡りました。この状況をジョン・ボイル・オライリーが「涙の海」と詩的に名づけました。彼らは、飢餓と苦悩に追い立てられながら、必死に希望を求めたのです。
導く人
自分に自信が持てなかった頃、リッチ牧師は私の潜在能力と可能性を信じてくれました。また、謙遜と愛で仕える姿を示して、指導者の模範になってくれました。その影響で、私は今日、神に仕え、助言者、指導者になっています。