使者
ある会議に出席しているとスタッフが「伝言です」とメモをくれました。何だろうと緊張しましたが「甥っ子ができた」と書いてあったので、吉報でした。
すべてが新しい
私は車いじりが好きなので、よく近所の解体屋に出かけます。そこは、過去の自慢のなごりの間を風が音を立てて吹き抜けていくような、わびしい場所です。ねじ曲がったり、用済みになったりした数々の車の間を歩いて、ふと一台に目が留まると、現役時代にはどんな冒険をしたのだろうと思いを馳せたりします。一台一台が過去への入り口であり、語るべき物語があります。逃れられない時の流れと最新モデルに憧れる人々についてです。
神が否と言われるとき
兵役義務に18歳でついたとき、配属先について必死で祈りました。体力が自慢ではなかったので、厳しい戦闘訓練のない部署に行きたかったのです。ところが、聖書を読んでいて「わたしの恵みは、あなたに十分である」(Ⅱコリ12:9)というみことばが飛び込んできました。不安になりましたが、それは間違いでした。神は私の祈りに応えて、大変な所に配属されても助けようと言われたのです。結局、私は装甲歩兵になり、辛いこともありました。しかし、あの経験と訓練は、私を肉体的にも精神的にも鍛え、一人前の大人になる準備をしてくれたと感謝しています。
厄介払いの良き日
年の初めに一風変わったイベントをする人たちがいます。「厄介払いの良き日」と呼ばれ、2006年に始まりました。それは、ある南米の伝統に由来します。各人が、旧年中の悪い出来事や嫌だったこと、恥かしい思い出などを紙に書き、その紙を業務用シュレッダーにかけます。または大槌で打ち叩く人もいます。
あがめるべきお方
夫が友だちを教会に誘いました。礼拝の後、その人は「歌も雰囲気も良かったけれど、なぜ君たちがイエスをあれほどあがめるのか理解できない」と言いました。そこで夫は、キリスト教はイエス・キリストと自分との関係についてなので、イエス抜きでは無意味だと説明しました。イエスが私たち一人ひとりの人生に様々に働いてくださったので、私たちは集まり、主をたたえます。
特別な日
ウィリアム・ディーン・ハウエルズの小説『毎日クリスマス』の中では、ある少女の願いが叶い、毎日がクリスマスという散々な一年になります。3日目でお祭り気分は萎え、やがて皆がお菓子にうんざりします。七面鳥が不足して法外な高値で売られ、プレゼントを感謝する人はなく、人々はいらついてきつい口調で話します。
冬の雪
冬の朝、目覚めると、あたりは新雪でおおわれ静かです。雷鳴をとどろかせて己の到来を声高に知らせる春の嵐と違い、冬の雪はしんしんと降ります。歌手のオードリー・アサドは「ウィンター・スノー・ソング」という曲で、イエスは嵐のように来ることもできたのに、静かにゆっくりと、まるで冬の夜の雪のように来られたと歌います。
思い巡らす
オズワルド・チェンバーズは1911年から1915年までロンドンの聖書学校で教鞭を取っていましたが、講義中に度々学生を驚かせるようなことを言ったそうです。講義後の食事の時間が、ディスカッションに充てられていたので、学生たちは彼に様々な疑問や反論をぶつけました。ある女生徒の回想によると、チェンバーズはにっこり笑って「今はそのままにしておきなさい。そのうちに分かりますよ」と言っていたそうです。チェンバーズは、問題について思い巡らす中で神が真理を啓示してくださる体験をしなさいと学生たちに勧めていました。
豊かさと苦しみ
アン・ヴォスカンプは著書『1000の贈り物』の中で、神がしてくださったことを毎日の生活の中で見つけなさいと勧めています。そうすれば、台所のシンクに虹色の泡ができた、という些細なことから、自分のような罪人にさえ救いが与えられたという大きなことまで、神が様々な形で豊かに施してくださっていることに気づきます。彼女は、感謝の心が、どんな苦境にあっても神を見出す鍵だと言います。